、珍らしい芸は見られなくなつた。昔は夜の大須は、到底広小路などの及ぶべくもないほど活気があつたものだが、遊郭がなくなつてからは、げつそりと寂しくなつた。観音堂裏は、昔の不夜城の入口で、今僅かに玉ころがしや空気銃、夏向きには鮒釣りなどで、職人肌の兄貴連を引きつけて居るが、弦歌のひゞきぱたりと絶えて二三の曖昧宿に、臨検におびえながら出入りする白い首が闇にうごめくだけではたゞもう淋しさの上塗りをするだけである。
 スケツチでなくて何だか懐旧談のやうになつてしまつた。けれども、明治末期に生まれたモダン・ボーイならざる限り、現在の大須をながめては、その昔大須にあふれて居た名古屋情調を顧りみて惜まざるを得ないのである。さうして一たび旧名古屋情調をしのびはじめたならば、今の名古屋で、だんだん勢力を得て来たモダン・カフエーへは、ちよつと、はいる気がなくなるのである。
 とはいふものゝ、最近の名古屋を知らうとするものは、数十軒を数ふるカフエーを見のがしてはならない。昼なほ手さぐりを要するやうな暗さの中で、コーヒーか紅茶一杯に,ものゝ三時間|乃至《ないし》五時間も、ウエートレスと饒舌にふける気分は、到底筆者などの、及びもつかぬ感覚であり心境であるのだ。
 尤もこれ等のカフエーが新時代の要求によつて生れたかどうかは考へ問題である。小資本ではじめ得られて、比較的多くの収入があるといふことも、カフエーの殖《ふ》えた原因の一つであらう。何しろ、大須附近に、いはゞ一ばんはじめに、カフエー・ルルが出来たのは、まだたつた三年ばかり前であるのに、それ以後、四十軒にも殖えたのは、一種異様の現象でなくてはならない。はじめ易い商売だといつても、客がなければ自然につぶれなければならぬのに、ます/\殖えて行く傾向のあるのは、やつぱり新時代に適して居るからであらう。
 そのカフエーと共に、今名古屋で、漸次流行しようとして居るのが、ダンス・ホールである。大阪で禁止されたゝめの一種の調節現象かも知れぬが、そのダンス・ホールの一つが中村遊郭に出来て遊郭よりもよく流行つて居るのは皮肉なことゝいはねばならぬ。といふよりも、遊郭経営者の一考を要すべき点であらう。

 中村遊郭
 たとひ中村遊郭が、東洋一の建築美を誇つても、さうして今なほ木の香新らしく嫖客《ひようきやく》の胸を打つても、やはり遊郭は旧時代の遺物である。いつそ古
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