ければまだ古いだけに思ひ出も深いのだが、元亀天正の昔をしのぶ外、(といふのは、中村はいふ迄もなく、太閤様の出生地なので)何のよすがもないとなると、大門を入つて両側に美しくならぶ雪洞にも、たゞもう人肉の切売りといふ、現実の血腥《ちなまぐさ》いやうな感じをそゝられるだけである。
 汽車の煤煙で化粧された名古屋駅近くの明治橋を渡つて、一直線に単線電車を凡《おそ》そ十五分ほど乗ると、大門へ着くのだが、少し威勢のよい足なみで突き進むとやがて田圃へ出てしまつて、検黴病院のいかめしい建物が、目に痛いほどの寂しさを与へる。歌川広重の『新吉原』は、さびしさそのものではあるが、なほ且つその底には、伝統的な一種の言ふに言へぬ甘い情調がかくされて居るけれど、中村遊郭には、そんな気分など、薬にしたくもないのである。
 不景気の影響を受けてか、昨今のさびれ方は甚だしいものだが、これはあながち、不景気の影響ばかりではないやうである。その証拠には、前にも述べたごとく、遊郭内のダンス・ホールの繁昌でもわかる。要するに、このやうな遊郭は、もう、新時代には適せぬのだ。いつそ、懐古趣味を発揮させようとするならば、うちかけを着せて張店を出すがよい。張店といへば、昨年一時そんな噂がひろがつて、政治問題とされたことがある。筆者は公娼存置にも、張店にも賛成だけれど、遊郭そのものゝ改良は、早晩行ふべきだと思つてゐる。
 中村遊郭の振はぬのは、べらぼうに高価なことも其原因の一つであるらしい。尤も、それは大店だけのことだが、市内で、比較的廉価な遊びが出来るものだから、わざ/\遠くまで出張に及んで高い金を払ふ必要がないといふ論者が可なりに多い。誠にそのとほりである。市内に於けるいはゞ私娼、乃至みづてん芸者の跋扈《ばつこ》は恐ろしいもので、筆者の手許には、相当の材料も集つて居るけれど、これはスケツチに用のない事、沈黙を守つて、蓋をあけないことにしよう。
 午前零時といへば、遊郭は最も繁昌しなければならぬのに、その頃試みに中村遊郭内を散歩して見るがよい。素見《ひやかし》の客があちらにチラリ、こちらにチラリ、ところ/″\にタクシーが横づけになつて居て、まるで、猖獗《しようけつ》な伝染病流行当時の都市を見る様である。一つしかない名古屋の遊郭だ。こんなことに力を入れるべき性質のものではないが、もつと繁昌してくれなくては、名古屋の御
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