には、大きな年月の差異がある。とは、言はずと知れたことだが、やゝもすると、昭和の名古屋に、宝永の俤《おもかげ》が多分に残つて居るのは、あながち筆者のひが目ではないやうだ。尤も、どの都市にだつて、あの新らしさを売り物にするヤンキーたちの、礼讚措くあたはざるニユーヨークにだつて、昔の俤は残つて居るから、それは決して質の問題ではないが、今の京都よりも、却《かえ》つて名古屋に昔しくさい感じの多いのはどうした訳であらうか。廬山《ろざん》に入つては廬山を見ず、まして、病身もので、めつたに外出しない筆者のことだから、大きなことは言へぬけれど、どうも名古屋は近代化しにくい性質らしい。
 とはいふものゝ、年々歳々、たえず変化はしつゝあるのだ。昭和三年には、昭和三年らしい色彩《いろどり》がある筈だ。それをスケツチして見ようといふのが、この一篇の目的だが、何しろ書斎の虫のことだから、碌な観察は出来かねる。

 広小路
 名古屋を西から東へ横断する、いはゞ銀座通りである。名古屋駅を下りてから柳橋、納屋橋を越すまでは、銀座どころか、銅座か鉛座ぐらゐの感じしかないが、一たび納屋橋に立つて、静かに東を向いて眼を放つならば、さすがに、近代都市の面影を認めざるを得ない。十数年前までは、視野のまん中に、はるかむかうに日清戦争記念碑が、生殖器崇拝論者を喜ばせさうな形をして突立ち、なくもがなの感じを起させたものだが、今は、覚王山のほとりに移されて、視野に入るものは、第一銀行支店、三井銀行支店、住友ビル、名古屋銀行、明治銀行など――考へて見れば、拝金宗の寺院ばかりであるが――両側にいはゆる輪奐《りんかん》の美を争つて居る。尤も、都市の大建物《おおたてもの》で、拝金宗の権化ならざるものは尠《すく》なく、ニユーヨークのウールウオース・ビルヂングの案内書に、商業寺院 Church of Commerce として紹介されてあるのは、さすがにヤンキーだけあつて、言ふことが徹底的である。
 街の両側にある柳は、初夏の頃など、眺め心地が頗《すこぶ》るいゝ。その柳に因んで名づけられた新柳町に、前記の諸寺院の大部分がある訳だが、旧本丸から熱田まで縦走して居る本町筋との交叉点から、市の中心をなす大津町筋との交叉点までがいはゞもつとも繁昌なところであつて、『栄町』の名は至つてふさはしい。その栄町と大津町との交叉点に立つて、暫《し
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