中が出かわって雇われて来ました。彼女は名を沢と言って相当な美人で、一見すると良家の子女のように見え、年は友江さんより一つ二つ上らしく、非常に気転がききましたので、信之は沢によっていつしか心の虜にされてしまったのです。実際、この女中が後に信之の身を滅ぼす因《もと》になりましたが、細君に持ちかねて居るところへ、細君よりも、はるかに世間的知識に富んで居る女があらわれたのですから、やがて、どんなことが起るかは皆さんにも大方想像されるだろうと思います。而《しか》も、これまでの女中は、信之が言い寄ると、みんな、すぐ様暇を取って帰って行ったのに、沢は逃げるどころか、却って彼に対して一種の好意を見せて居るようなので信之の心はすっかり掻き乱され、彼の沢に対する恋は日に日に猛烈になって行きました。
すると、友江さんは、精神に異常を来しながらも、信之の沢に対する心持を感知したと見え、はげしい嫉妬にかられては、沢の頸筋をつかんで殴ることさえ屡々《しばしば》ありました。然し沢は、何か野心を持って居たと見えて、ただ笑って居るだけで、少しも、つらいとも居にくいとも申しませんでした。これを見た信之は益々友江さんを憎んで、沢に同情し、遂に友江さんを、土蔵の中に監禁すると言い出しました。沢は始め反対しましたが、結局信之の言葉に従って、友江さんを土蔵に押しこめました。けれど、沢は深切に友江さんの面倒を見ました。土蔵の戸の鍵は沢が預って居て、友江さんの食事も土蔵の掃除も沢がかかりきりでしたが、信之は、友江さんを監禁してから、一度も見舞に行きませんでした。自殺の虞《おそれ》あるものを、土蔵に監禁するなどということは、随分危険な話でしたが、沢に心を奪われた信之は、今では、結局、友江さんが自殺でもしてくれたらいいと思ったらしいのです。
ところが、運命というものは誠に皮肉なもので、始め憂鬱状態にあった友江さんは、段々病が進むにつれて発揚状態にかわりました。多分妊娠の進んだせいもありましょう。従って近頃では自殺どころか、頗《すこぶ》る陽気になって、時々、土蔵の中から彼女の歌う声が洩れることさえありました。然し庭が広いので、余所《よそ》へ知れる心配はなく、実際友江さんが、家続きの土蔵に監禁されて居ることを知って居るものは信之と沢の外には一人もありませんでした。
さて、友江さんが土蔵に監禁されると、広い家には、信之と沢との二人きりです。そうなると皆さんも想像されるごとく、信之は、盛んに沢に言い寄りました。然し、沢は、好意は見せても、断然その身を任すことはしませんでした。すると信之は日に日に焦燥の情を増しました。後には暴力にまで訴えようとしましたので、とうとう沢も決心して、奥さんが生きて見える間は決して、御言葉には従いませんと言い切りました。
さあ、そうなると、恋に狂った信之の取る手段は何でしょう。言わずと知れて居《お》ります。
妻をなきものにしよう……
沢はある夜、信之の晩酌の相手をしながら、信之の言葉とその眼の色によって、友江さんを殺害《せつがい》する意のあることを悟りました。彼女は自分が信之に言った言葉を後悔すると同時に、これは十分警戒せねばならぬと覚悟致しました。
[#7字下げ]四[#「四」は中見出し]
ある夜《よ》、恐しい暴風雨《あらし》が市街《まち》を襲いました。宵から降り出した雨は車軸を流し、風は獅子の吼《ほ》ゆるような音を立てて荒れ狂いました。そういう晩は健全な人をも異常な心境に導くものです。信之は沢を相手に、頻りに酒杯を傾けましたが、だいぶ酔がまわって来てから、突然、友江を見舞って来るから、土蔵の鍵を貸してくれと沢に申しました。沢は頻にとめましたが、どうしてもききません。そこで、沢は一しょに行くと言いましたが、信之はそれをも承知しなかったので、彼女は仕方なく鍵を渡し、恐しい暴風雨《あらし》の音をききながら、がらんとした家の中にちぢこまって居《お》りました。
暫らくすると信之は顔色をかえて、走って来ました。
「沢、友江が首を吊って死んで居る」と、彼は提灯《ちょうちん》をも消さないで沢に告げました。
「ひえッ!」といったかと思うと、沢はその場に気絶して仰向きにたおれました。信之は愈《いよい》よ慌てて水を取りに走り、それを沢の口へそそぎかけました。沢は凡そ二時間あまりも意識を恢復しませんでしたが、やっと、眼をさますと、むっくり起きて、室内の一隅を指し、
「あれ、奥さまが!」
といって顔を蔽いました。信之も流石《さすが》にぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたらしいでしたが、
「馬鹿な、誰も居やせん」
「いえいえ、たしかに今、奥さまが、髪を振り乱して、そこに立って見えました」
「そんなことがあるものか」
「それじゃ、もう一度土蔵の中を見て来て下さいませ」
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