信之は、気が進まぬらしかったけれども、沢が頻に頼むので仕方なく、又もや、提灯をともして土蔵の中を見に行きました。そのとき暴風雨《あらし》は益々はげしくなりました。
暫くすると信之は、土のように蒼ざめて帰って来ました。提灯を持つ手が、ぶるぶる顫えて居たので、沢はただならぬことが起きたと思いました。
「どうなさいました?」と沢はたずねました。
信之は沢の顔を見つめるだけでした。
「旦那様、どうかなさいましたか?」と、沢は再びたずねました。信之は先刻《さっき》から、モルヒネを飲んだ患者のように、ぼんやりした眠たそうな顔をして居ましたが、その眠たそうな顔の中にも、恐怖の色がありありと見えました。
「実は、友江の死体が、消えてなくなったんだ」
と、信之は、この世ならぬ声で申しました。
「ひえッ!」と又もや沢はその場で気絶しました。無理もありません。それは正しく友江さんの死体が幽霊となった証拠ですから!
信之は、こんどは、何思ったか、水も持って来ないで、沢の気絶した姿を微笑しながら眺めて、頻に酒を飲みましたが、やがて、沢を抱き上げたかと思うと、寝室の方へ運び、手早く敷蒲団を敷いて沢を寝かせました。次《つい》で自分はその傍に坐って、うるんだ眼を情慾に輝かせつつ沢を見つめて居ましたが、どうした訳か、頻に眠気を催し、沢の身体に手をかけたかと思うと、そのままぐったりと横になって寝入ってしまいました。恐らく彼は幽霊の魔法にでもかかったのでしょう。
幾時間かの後、信之は眼をさましました。それはまだ夜の明けぬ前で、暴風雨《あらし》はその時幾分かその勢を弱めて居ました。信之はもはや酔もさめたと見えて、顔を上げて怪訝《けげん》そうにあたりを見まわしましたが、ふと冷たいものが手に触れたので、その方を見るなり彼はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としました。
皆さん! 信之の傍に寝て居た筈の沢は、いつの間にか、一尺に足らぬ、女の赤ん坊の死骸とかわり、而《しか》もその赤ん坊の全身の皮膚は恰《あだか》も熱湯をそそいだかのように焼けただれて居ました。げに恐しい幽霊の復讐です!
「イヒヒ、ウフフ、アハハハハ」
信之は突然その赤ん坊の死骸を抱き上げて、気味の悪い笑い声を発しながら、室の中を走りまわりました。彼は引き続く恐怖のためにとうとう発狂してしまったのです。その時|暴風雨《あらし》は更に勢を増して、室内を照す電灯の珠《たま》が頻に揺れました。
[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]
皆さん。私の怪談の本筋はこれで終りました。申す迄もなく信之が発狂したのは、単に沢が、怖しい姿の赤ん坊に変って居たということばかりではなく、実は、信之は暴風雨《あらし》に乗じて友江さんを絞殺し、縊死《いし》したように見せかけて置いたのでして、その為に起った良心の苛責がその主要な原因となったのでした。
さて、皆さんは、恐らく、この怪談の真相を御ききになりたいだろうと思いますから、簡単に説明して置きます。この怪談こそは、冒険心に富んだ私と妻との書いた狂言に外ならぬのでした。もはや御察しのことと思いますが、信之の心を奪った女中の沢は、私の妻だったのです。私たちは、是非とも、友江さんを救いたいと思って、種々取り調べた結果、友江さんが黴毒にかかったことや女中が度々出かわることをきき出しました。そこで妻は女中となって住みこみましたが、最早やその頃、友江さんの病気は可なりに進んで居ました。友江さんを盗み出して治療するのは訳のないことですが、何とかして、信之に、十分悔悟させてやりたいと思ったものですから、時機を待つことにしたのです。妻と私とは無論度々秘密に会見して手筈を定《き》めることにしましたが、愈よ妻が信之に友江さんを殺そうとする意志のあることをたしかめましたので、その翌日の夜から、私は毎晩、ひそかに加藤家をたずねて、警戒致しました。するとその暴風雨《あらし》の晩が来ました。私は今夜は何か起るにちがいないと、土蔵を監視して居ますと、果して信之がやって来ました。彼はいきなり手拭をもって友江さんを絞殺し、友江さんの紐を解いて死骸を梁に吊し、逃げるようにして去って行きました。彼が若し刃物をつかったならば、飛び出して妨げるつもりでしたが、絞殺を行いましたからはらはらし乍らも、時機を待って居ました。彼が立ち去るなり、私は手早く、友江さんを下し、人工呼吸を施しますと、間もなく息を吹き返しましたので、予《かね》て妻と打合せてあった室に運びこみました。すると程なく、友江さんは産気づきました。生れた子は黴毒のために恐しい姿となって死んで居ました。友江さんが窒息したので、胎児も窒息したのです。胎児は七ヶ月ぐらいのものでしたからとうとう助かりませんでした。一方妻は、かねて酒の中に催眠剤を入れて置きました
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