之と沢との二人きりです。そうなると皆さんも想像されるごとく、信之は、盛んに沢に言い寄りました。然し、沢は、好意は見せても、断然その身を任すことはしませんでした。すると信之は日に日に焦燥の情を増しました。後には暴力にまで訴えようとしましたので、とうとう沢も決心して、奥さんが生きて見える間は決して、御言葉には従いませんと言い切りました。
さあ、そうなると、恋に狂った信之の取る手段は何でしょう。言わずと知れて居《お》ります。
妻をなきものにしよう……
沢はある夜、信之の晩酌の相手をしながら、信之の言葉とその眼の色によって、友江さんを殺害《せつがい》する意のあることを悟りました。彼女は自分が信之に言った言葉を後悔すると同時に、これは十分警戒せねばならぬと覚悟致しました。
[#7字下げ]四[#「四」は中見出し]
ある夜《よ》、恐しい暴風雨《あらし》が市街《まち》を襲いました。宵から降り出した雨は車軸を流し、風は獅子の吼《ほ》ゆるような音を立てて荒れ狂いました。そういう晩は健全な人をも異常な心境に導くものです。信之は沢を相手に、頻りに酒杯を傾けましたが、だいぶ酔がまわって来てから、突然、友江を見舞って来るから、土蔵の鍵を貸してくれと沢に申しました。沢は頻にとめましたが、どうしてもききません。そこで、沢は一しょに行くと言いましたが、信之はそれをも承知しなかったので、彼女は仕方なく鍵を渡し、恐しい暴風雨《あらし》の音をききながら、がらんとした家の中にちぢこまって居《お》りました。
暫らくすると信之は顔色をかえて、走って来ました。
「沢、友江が首を吊って死んで居る」と、彼は提灯《ちょうちん》をも消さないで沢に告げました。
「ひえッ!」といったかと思うと、沢はその場に気絶して仰向きにたおれました。信之は愈《いよい》よ慌てて水を取りに走り、それを沢の口へそそぎかけました。沢は凡そ二時間あまりも意識を恢復しませんでしたが、やっと、眼をさますと、むっくり起きて、室内の一隅を指し、
「あれ、奥さまが!」
といって顔を蔽いました。信之も流石《さすが》にぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたらしいでしたが、
「馬鹿な、誰も居やせん」
「いえいえ、たしかに今、奥さまが、髪を振り乱して、そこに立って見えました」
「そんなことがあるものか」
「それじゃ、もう一度土蔵の中を見て来て下さいませ」
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