替え玉になり、怒った真似をしてお嬢さんを近づけぬようにし、それから信清さん一人を呼びだし電灯を暗くし、顔を半分かくし怒鳴りつけて喧嘩し、信清さんが寝てから、死体をベッドの上にあげ、信清さんが落とした手拭《てぬぐ》いを拾ったのを幸いに、それを先生の首にまいて罪を信清さんになすりつけようとしたんだ。
 ね、それに違いないだろう。朝鮮浪人はいつの間にか外国の間諜《スパイ》になって、大事な国家の秘密を奪おうとしたんだ。だが、天は悪人に加担しないよ。せっかく先生を殺しても、肝心の毒瓦斯《どくガス》の秘密は、とうとう見つからなかったのじゃないか。
 お嬢さんの留守中、婆やの耄碌《もうろく》しているのを幸いに、君たち二人は書斎をはじめこの家の隅から隅まで血眼になって捜したんだろう。ところがかえって僕に横取りされてしまったので、君は残念に思って危険を忘れて張本人へ電話をかけにいったのだろう。そして今晩あたり、僕を殺して秘密を奪《と》ろうぐらいの相談をしたのだろう。
 それがそもそも運のつきさ。おかげで難なく重大な売国奴を逮捕することができて、大事な秘密は外国の手に渡らずにすみ、大日本帝国万歳だよ。
 白井さん、これであなたにもお土産ができたわけです。さあ、早く斎藤を連れていって信清さんを帰らせてください」
 白井刑事は先刻から俊夫君のこの意外な説明を、恍惚として聞いていたが、このとき急に我に返って、斎藤を促しながら人々に挨拶をして、急いで出てゆきました。

 あとにはPのおじさん、すなわち小田刑事と令嬢と私たち二人の都合四人が書斎に居残りました。令嬢は悲しさうれしさ取りまぜた涙をそっと拭《ぬぐ》って言いました。
「塚原さん、本当に有り難うございました。父の死んだのは、悲しいですけれど、兄の嫌疑も晴れ、大切な毒瓦斯の秘密もなくならずに済みましたから、私もすっかり安心しました。これというのもみんなあなたのおかげです。
 それにしても叔父は何というひどい人間でしょうか。わたし、本当にびっくりしてしまいました。でも、一体どうしておじの仕業《しわざ》だということが分かりましたか?」
 俊夫君は得意げに言いました。
「この事件を解決してくれたのは、先生の髭《ひげ》ですよ。いいえ、先生の八の字髭ではなく、顎から頬へかけての短い髭です。先生のご病気になられたのが十一日だというのに、私は先生のお顔を拝見してその髭ののび方の少ないのに驚いたのです。病気中に髭を剃る人は滅多にないから、たとい十一日の朝お剃りになったとしても昨晩までにはもっとのびていなくてはならぬと思ったのです。
 そこで私は物差しを出して髭の長さをはかってみたら一・五ミリメートル内外のものばかりで、二ミリメートルを越したものは一本もありませんでした。髭は一日におよそ〇・五ミリメートルのびるものですから、もし先生が昨晩まで生きておられたのならば、少なくとも二・五ミリメートル以上なくてはなりません。そこで私は先生が殺されなさったのは昨晩ではないと判断しました。
 してみると、昨晩先生のベッドにいた人は、先生の替え玉でなくてはならぬと思ってベッドを捜すと、付け髭の毛が一本見つかりました。替え玉だとしてみると、お嬢さんを近づけぬように怒鳴り散らしたわけがよく分かります。信清さんは久しぶりにお父さんの顔を見られたので、ことに薄暗い室《へや》では、お父さんの替え玉だということがよく分からなかったのです。
 さて替え玉だとしてみると、その男こそ先生を殺した犯人だということが分かり、同時にとうぜん斎藤が共犯者でなくてはならぬと思ったのです。すると、殺害の動機は何であろうか。言うまでもなく毒瓦斯《どくガス》の秘密を奪うつもりだろう。しかるに犯人たちが昨晩までいたのは、おそらく秘密を見つけることができなかったためだろう。こう考えて、書斎を捜してみると、果たして秘密が隠してありました。
 次に僕はもし三日前に殺したのだとすると、その間死体をどこへ隠しておいたのだろうかと考えました。するとこの家《うち》の中へ入る前に、勝手口のところの雪がたくさん取ってあるのを見たことを思い出したのです。
 雪はおそらく死体を冷やすために取ったのだろう。してみると、死体は風呂桶の中に雪詰めにしてあったに違いないと考えて風呂場を詳しく検査すると、果たして血痕がたった一つ見つかりました。その血痕はたぶん先生の鼻から出たものでしょう。まだその他にもあったに達いないですけれど、おそらく斎藤が冷水浴をやる風をして洗いさったのでしょう。
 最後に僕は先生の替え玉になる男は何者であろうと考えました。先生の替え玉になる者はきっと先生に似た男に違いないと、ご親戚の有無を尋ねたら、お嬢さんは、叔父さんが一人あって、しかもその人は変人で、蛇の皮や、蟇《がま》の皮で作ったものを好んで持っている人だと言われました。
 そこで僕は先生の爪の間にあった蝙蝠《こうもり》の毛を思い出し、その人は冬のことだから蝙蝠の皮をつなぎ合わして作った襟巻をかけていたのだろうと思いました。先生の首をしめた時に先生が抵抗なさったので、そのとき蝙蝠の毛が、爪の中に入ったのでしょう。果たして、僕の推定は当たりました。……」
 信清さんはその日に無罪放免となりました。俊夫君の推定のごとく、主犯人は遠藤博士の実弟で、某強国から多額の金を貰って毒瓦斯の秘密を奪うために、書生の斎藤を買収して博士を殺したのだと白状したそうです。殺してすぐに逃げなかったのも、やはり秘密を見つけることができなかったのと、も一つは令息に嫌疑をかけて、無事に身を晦《くら》ます心算《つもり》だったということです。
 かくて俊夫君のおかげで、大切な毒瓦斯の秘密は奪われずにすみました。



底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
   2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「子供の科学 二巻六〜八号」
   1925(大正14)年6〜8月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年11月14日作成
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