なかったら、永久に知れずに済むであろう。けれども、永久に知れずに済ますにはあまりに惜しい。俗謡《ぞくよう》に、「知れちゃいけない二人の仲をかくして置くのも惜しいもの」とある。その心理で、今回もまた自分はこれを書き残すのだ。
近藤進と自分とはまったく路傍の人であった。それだのに何で自分が彼を殺す気になったのか、直截《ちょくせつ》に言えば彼の鼻である。彼の鼻が自分の気に喰わなかったからである。それでは彼の鼻のどこが自分の気に喰わなかったのか、それはいまだに自分にもわからない。別に彼の鼻がずばぬけて大きかったのではなく、また低過ぎたのでもない。曲って居たのでもなければ、仰向いて居たのでもない。けれども私は、はじめて彼に道ですれちがったとき、思わずもぞっと身ぶるいした。つまり、全体の感じが悪かったのだ。そうしてこの鼻を滅ぼさなければ、到底自分は生きて居られないと思った。だからその瞬間に彼を殺すことに決心して、彼のあとをつけて行ったのである。
それから自分は彼の生活状態を熱心に研究して、彼の家にはしのび入り易いこと、彼は老婆と二人きりで暮して居ること、彼が愛猟家で書斎で火薬の装填を行うことなどを知り、自分はすばらしい殺害計画を思いついたのである。そうしてその後はただ時機を待って居るばかりである。
三日――委《くわ》しく言えば十二月三日の午後、自分は例のごとくぶらぶら歩きながら近藤進の家の方へ向って居た。夕ばえが西の空をオレンジ色に染めて、雀が忙《せわ》しそうに啼《な》いて居た。すると、道辻にある餅菓子屋から五六軒行き過ぎたところで、前方からあたふた小走りに走って来る老婆に出逢った。見るとそれは近藤方の召使いである。彼女は魚屋の前へ来て立ちどまると、
「今、使が来て、娘が急に産気づいたと知らせに来たからちょっと行って来るが、家にはちゃんと錠をかけて来たけれど、若《も》し旦那様がここをお通りになったら、そのことを話してくれないかね」
「そりゃお目出度いな。ああいいとも」
「六時頃に千葉から御帰りになる筈だ。頼むぜ」
「よし、よし」
魚屋の主人は大きくうなずいた。
この会話をきいた時、自分は待ちに待った機会が愈《いよい》よ到来したことを知った。自分は急ぎ足で彼の文化住宅に近づき、やがてこっそり家の中へしのびこんだ。幸いにどの窓にも厚いカーテンがおろされて居て、あたりは既に
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