事情があってとうとう結婚したので御座います。それが抑《そもそ》もの間違いのもとでした。即ち私が断然として養子に行きさえせねばよかったのです。つまり私の意志が薄弱であったことが、今こうした悲運を齎《もたら》したといって差閊《さしつかえ》ありません。仲人は私に向って先方が容貌《きりょう》が悪くても、ほかに美しい女を囲えばよいではないかといって私に頻にすすめました。そうして私は皮肉にも、仲人の言葉を実行してほかに女を囲うようになったのですが、そのために先妻は私とその女をうらんで自殺したので御座います。
 容貌のみにくい女は残忍性を持つということを何かの書物で読んだことがありますが、私は私の経験によって、その残忍性が死後には一層強くなってあらわれるということを発見しました。私の囲ったのは芸者上りの女でしたが、一たびそのことが先妻の耳にはいりますと、私の家は実に暗澹《あんたん》たる空気に満たされました。彼女は泣いて私に訴えるばかりでなく、時には噛みついて私を責めるのでありました。その都度店のものが仲裁にはいってくれましたが、そうしたことが度重なった末ある夜、私が女の許へ行って居た留守中に、家に代々伝わる村正の刀で頸部をかき切って自殺を遂げたので御座います。
 この村正の刀というのは、申すまでもなく、その家に不幸を齎すという言い伝えがあります。一旦鞘を出ると血を見ずにはおさまらぬというようなことも申します。何でも四代前の主人が発狂して同じ刀でその妻を斬ったということでしたが、先妻も、やはり発狂して、同じ刀で自分を切ったので御座います。いや、うっかりすると、私も共に斬られていたのかも知れません。佐野治郎左衛門の芝居を見ますと、「籠釣瓶《かごつるべ》はよく切れるなあ」という科白《せりふ》がありますがあの刀もたしか村正だったと思います。私の家に伝わる村正も、その籠釣瓶のように実によく切れるので御座います。先妻はその村正を右手に持って、頸部を横に切ったのですが、創《きず》は脊椎骨に達するくらいで、検屍の人もびっくりしました。たった一刀で、しかも女の力であのような創の出来るというのは、刀がよく切れたからだと推定されました。後に私自身もその村正の切れ味を経験して、いかにもよく切れることをたしかめた訳ですが、私は従来、どんなによく切れる刀でも、これを使用する人の腕が達者でなくては、そんなに見ごとに物を切ることが出来るものでないと思っていました。ところが、後にその考えの根本的に誤っていたことがわかったのであります。
 さて、先妻はその時に恐しい遺言状を残して行ったので御座います。その文句によると、幽霊になって私の女を取り殺し、並びに私を不具にするか、或は取り殺さねば置かぬというのでありました。果して私たちは、そのとおりの運命に出逢ったので御座います。
 尤《もっと》も、その時は、嫉妬に駆られた女の常套語として、私は少しもそれを気に懸けませんでした。そうして、先妻の死後半ヶ年というものは私にも女にも何事も起りませんでした。で、私は身のまわりの不自由を感じて、とうとう、その女を家に引き入れて後妻としたのですが、それがいわば不幸を招く発端となったので御座います。
 私の家には、祖母の代から飼いはじめたという三毛《みけ》の雌猫《めねこ》がおりました。可なりに大きな身体をしていましたが、この三毛を先妻はわが子のように可愛がりました。その可愛がり方は実に常軌を逸していたといってもよい程でした。先妻が自殺してその死骸が発見されたとき、三毛が死体の上に乗って蹲《うずくま》っていたので、店のものがびっくりして追おうとしても、暫くの間はどうしても動かなかったということでした。この三毛が、後妻に少しも馴染まなかったので御座います。後妻が抱き上げようとしますと、必ず引掻いて逃げて行きました。私は先妻の生きている時分からあまり三毛を好みませんでしたが、先妻が死んでから三毛は私に対しても、何かこう一種の敵意を持っておるかのような風をしました。そうして三毛は時折じっと立ちどまっては、私たちを凝視するのでしたが、その凝視に逢うと、私も後妻も肌に粟を生じないではいられませんでした。とうとう後妻はあの猫には先妻の死霊がついておるから、どこかへ捨てさせてくれと私に頼みましたので、はじめに私は店のものに牛込の方まで持って行かせて捨てさせたのでしたが、二日すぎるとちゃんと帰って来ておりました。いよいよ私たちは気味を悪がって、それから随分遠いところまで度々捨てさせたのですが、三四日過ぎると必ず帰って来るのでありました。後妻はいっそ毒殺してしまおうかなどとも申しましたが、何だか、後の祟りがおそろしいように思われたのでその儘《まま》毒殺を決行せずに過ぎました。
 とかくするうちに、先妻の死後一年あまりを経ました。すると後妻は右の眼がかすんでよく物が見えなくなったといい出しました。私は早速眼科医に見て貰うようにすすめましたが、後妻は大の△△教信者でして、御祈りして貰えばなおるといって、医者へは行かずに近所にあった△△教支部に通うたのでした。然し眼はだんだん見えなくなるばかりでしたから、私はしきりに医師をたずねるように主張しましたが、後妻も中々頑固なところがあって、かえって意地になって反対しました。
 ある日、後妻が△△教支部から帰って、私に向って申しますには、神様にうかがって貰ったところ、自分の眼病は先妻の祟りで三毛に先妻の死霊がのりうつっているから、三毛のいる間は眼病は治らぬ、それゆえ、これからは三毛のいなくなる御祈りをしてやるとのことだったと告げるのでありました。私はそんなことが果して出来るかどうかを内心|大《おおい》に疑っておりました。
 ところが、不思議にも、それから間もなく三毛がいなくなったのであります。十日経ち二十日経っても帰って来ませんでした。後妻はこれを知って大に喜び、いよいよ神様の不思議な力を信じ、自分の眼病も遠からずなおることと楽観しておりました。
 ところが眼病はよくならないばかりか、いよいよ右の眼は見えなくなってしまいました。それでも後妻は△△教の力にたよって医師を訪ねようとはしませんでした。[#「しませんでした。」は底本では「しませんでした」]
 ある夜私は可なりに遅く帰宅しました。いつも後妻は私より先に寝たことはありませんでしたがその夜は少し気分が悪いといって床の中にはいっておりました。そうして、いつも電灯をつけて寝るのでしたが、その夜は眼がちらつくといって電灯を消しておりました。私は何気なく、その寝室をあけますと、妻は私の声をきいて起き上りましたが、その時私は暗やみの中に猫の眼のようにぴかりと光るもののあるのを認めました。
「三毛がいる!」と、私は思わず叫びました。
「ひえーッ?」といって後妻はとび上って電灯をつけました。
 ところが、その室には三毛の姿が見えませんでした。私たちは思わず顔を見合せましたが、お互いの顔には恐怖と安心との混合した表情が漲《みなぎ》りました。
「まあ、驚いた!」と後妻は申しました。
「いや、俺の見違いだったんだ! 堪忍してくれ」
 こういって私は、寝間着に着換え、彼女を寝かせて電灯を消し、いざ寝ようとすると後妻の枕もとのあたりに前と同じようなぴかりと光るものを見ました。私はがばとはね起きて、電灯をつけましたが、やっぱり猫はおりません。
「まあ、どうしたというの?」と、彼女はびっくりしていいました。
「なに、何でもないんだ」と答えた私の声はたしかに顫えておりました。
 それから私は電灯を消して再び寝につきましたが、やがて私が彼女の方を向くと、再びぴかりとするものが見えました。私ははげしい興奮を辛うじて抑制しながら、徐《おもむ》ろに右手をのばして、その光るものの方へ近づけると、私は思わずも彼女の鼻をつかみました。
「何をなさるの?」と、後妻は笑いながらいいました。私は笑うどころでなく、なおもその光る物の方へ指をのばして行きますと、彼女の右の眼の睫毛《まつげ》にさわりました。私はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として手を引きました。
 猫の眼のように光るのは、まがいもなく彼女の右の眼でした。
 私はその時心臓が胸の中から、抜け出るかと思うような感じをしました。
 後妻が猫になった!
 猫の祟り!
 先妻の執念!
 こう考えると私は、もう恐しさに彼女にそのことを告げる元気がありませんでした。その夜は一晩中考えて寝られませんでしたが、あくる日になって、私は断然、彼女には告げないで置こうと決心しました。彼女がもしそれを知ったならば、発狂し兼ねはしないだろうと思ったからです。或は私の錯覚であったかも知れぬと思い、その後、くらやみの中でそれとなく彼女を観察しましたところ、まがいもなく彼女の眼は猫のように光りました。
 私はその時はじめて、物の祟りということを信ずるに至りました。今になって見れば彼女の眼の光ったのは何も不思議なことではありませんが、しかし、物の祟りを信ずるの念は、もはや動かすことが出来なくなりました。
 後妻は何も知らずに△△教に通いました。然し右眼は遂に完全に明《めい》を失ってしまいました。とかくするうちに、彼女の眼は暗やみの中で光らなくなりましたので私は一時内心で喜びましたが、明を恢復することが出来ぬばかりか、だんだん右の眼が前方に突出して来るようになり、それと同時に彼女ははげしい頭痛を訴えました。
 ある日彼女は突然高熱を発してどっと床につきました。私はもう我慢が出来なくなって医師をよぶことにすると、さすがの彼女も同意を表しました。診察に来て下さったN博士は、彼女を診察し終るなり、私を別室に呼んで、
「はじめ奥さんの右の眼は、猫のように暗やみの中で光りはしませぬでしたか?」
 と、小声でたずねました。私はびっくりして答えました。
「そうです」
「あれはグリオームという病気で、網膜に出来る悪性の腫瘍なのです。子供に多いのですが、大人にもたまにあります、猫の眼のように光る時分に剔出《てきしゅつ》するとよいのでしたが、今はもう手遅れです」
「手遅れと申しますと、右の眼が助からぬということですか」と私は心配してたずねました。
「いいえ、残念ながら腫瘍が脳を冒しまして、急性脳膜炎を併発しましたから、とても恢復は望めません」
 私は脳天に五寸釘を打こまれたように思いました。地だんだ踏んで後悔してももはや及びませんでした。
 その夜から妻は高熱のために譫語《うわごと》をいうようになりました。
「三毛が来た!」
「三毛が来た!」
 こう叫び続けて、三日目の午後、彼女は二十七歳を一|期《ご》として瞑目しました。
 たとい、彼女の右眼の病気が不思議な原因でないとわかっても、私は、彼女が先妻の死霊の祟りのために死んだのだとかたく信じました。そうして、私は心の中で、先妻の死霊と、それの乗りうつっている三毛とを呪いました。若し三毛がその時家の中《うち》にいたならば、きっとたたき殺したにちがいないと思うほど憎悪の情に駆られました。
 私は彼女の死体を八畳の室に運ばせました。この室は縁側がついていて前に可なりに広い庭を控え、彼女が生前一ばんすきな室であったからです。私は障子を取り払って彼女を庭の方へ向わせ、香を焚《た》きました。香の煙が流れて、庭の新緑の木の葉のまわりにただよった有様は、今でも忘れることの出来ぬ悲痛な印象を与えました。
 それから私は親戚のものたちと葬式その他の準備の相談をすべく別室に集りました。すると程なく店のものがあわてて私のところへ飛んで来ました。
「旦那大へんです、三毛が庭へ姿を見せましたよ」
 これをきくと同時に、私の憤怒の血は一時に逆上しました。私は三毛に復讐するのはこの時だと思い、奥の間へ行って、村正の刀を取り出しました。そうして死人の室の襖《ふすま》をあけますと、驚いたことに三毛は死体の上に、どっしりと蹲まっておりました。
 私はさっと刀を抜きました。三毛は私の殺気を認めたのか、ぱっと飛び出して、庭の上に走り降りました。私も続
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