さん、大変だ、僕の靴が片一方なくなった!」
私は通りかかった車掌に向って、大声でこう叫んだ。乗客は一斉に私の方をながめ中には立ち上る者さえあった。
車掌は顔を曇らせながら、近づいて来て、先ず私の腰掛の下を捜したが、もとより有ろうはずがない。それから私の前のあいている腰掛の下を捜しにかかり、暫くの後、立ち上ったときには、その右手に一個の靴がつかまれていた。
「ちゃんとここにあるじゃありませんか。あんなに大袈裟に仰しゃるものだから、びっくりしてしまった」
と、車掌は私を責めるようにいった。私は一寸恥かしい思いをしたが、ふと気がつくと、車掌のつかんでいるのは、私のとは少し格好がちがって、しかも不思議なことには左の靴であった。
「車掌さん、それは僕のではないよ、第一僕のなくなった靴は右だのに、それは左の靴じゃないか」
こういわれて、こんどは車掌が変な表情をして、自分の持っている靴と、私の右の靴とを比較《くら》べて見た。
「はてな、これはおかしい、ことによると……」
この時、留守にして居た色眼鏡の人が手巾《ハンケチ》で手を拭き拭き帰って来て、車掌の姿を見るなり怪訝《けげん》な顔をして立
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