かしまさか、その話をきかしてくれともいえぬのでそのまま口を噤《つぐ》んで、窓の方に眼をやった。
 雨はまだ頻に降っていて、窓を打つ水滴が砕けては流れた。汽車は私たちの気持を少しも知らぬ気に相変らず単調な音をたてて走った。私が再びその人の方を向くと、ちょうどその時二人の視線が打《ぶ》つかった。すると、その人は、私の心の中を察したと見え、にこりとしながら、
「まだ夜あけまでに間があるようですから、一つ私の身の上話を御耳に入れましょうか」といい出した。私は心の中で大《おおい》に喜んで、同意を表すると、その人は次のような恐しい物語りをはじめた。

 私は日本橋に株式仲買店を持つ辻というもので御座います。御承知のとおり、株屋などというものは非常に迷信深いものですが、私は先刻も申しましたとおり、決して迷信などを意にかけませんでした。ところが最近私の身にふりかかって来た不幸と災難のために、すっかり私は迷信家になってしまいました。そうして、今では、物の祟りだとか縁起だとかを信じない人は、その人が平凡に暮して来て何の不幸にも逢わない証拠を示しているようなものだと信ずるようになりました。
 私がここに持っているのは、実は私の後妻の骨で御座います。先妻は一年半ばかり前になくなりましたが、それ以後私の家には不幸が続き、とうとう後妻にも死なれ、私までがこうした不具になったので御座います。そうして、これらの不幸や災難はみんな先妻の亡霊の祟りだったのです。いや、こういうと、あなたは私の迷信を御笑いになるかも知れませんが、だんだん御話をすれば御わかり下さるだろうと思います。実は先妻は自然な死に方をしたのでなく、自殺して相果てたので御座います。
 昔から女の執念は恐しいものだと思いましたが、こうも極端なものだということは過去四十二年間夢にも思わなかったので御座います。彼女の自殺の原因はやはり嫉妬に外なりませんでした。私が他に女を拵えたのを憤って日本刀で頸をかき切って死んだのです。私は彼女の家に養子に迎えられたものですが結婚後二年ほど過ぎると両親が相前後して死に、私たち二人きりの身うちとなりました。私たちの間に子供がありませんでしたが、それが彼女のヒステリーを一層重くならしめた原因だろうと思います。元来彼女は、一口にいえば醜婦といった方がよく、はじめ私は彼女との縁組に不服でしたが種々《いろいろ》の深い事情があってとうとう結婚したので御座います。それが抑《そもそ》もの間違いのもとでした。即ち私が断然として養子に行きさえせねばよかったのです。つまり私の意志が薄弱であったことが、今こうした悲運を齎《もたら》したといって差閊《さしつかえ》ありません。仲人は私に向って先方が容貌《きりょう》が悪くても、ほかに美しい女を囲えばよいではないかといって私に頻にすすめました。そうして私は皮肉にも、仲人の言葉を実行してほかに女を囲うようになったのですが、そのために先妻は私とその女をうらんで自殺したので御座います。
 容貌のみにくい女は残忍性を持つということを何かの書物で読んだことがありますが、私は私の経験によって、その残忍性が死後には一層強くなってあらわれるということを発見しました。私の囲ったのは芸者上りの女でしたが、一たびそのことが先妻の耳にはいりますと、私の家は実に暗澹《あんたん》たる空気に満たされました。彼女は泣いて私に訴えるばかりでなく、時には噛みついて私を責めるのでありました。その都度店のものが仲裁にはいってくれましたが、そうしたことが度重なった末ある夜、私が女の許へ行って居た留守中に、家に代々伝わる村正の刀で頸部をかき切って自殺を遂げたので御座います。
 この村正の刀というのは、申すまでもなく、その家に不幸を齎すという言い伝えがあります。一旦鞘を出ると血を見ずにはおさまらぬというようなことも申します。何でも四代前の主人が発狂して同じ刀でその妻を斬ったということでしたが、先妻も、やはり発狂して、同じ刀で自分を切ったので御座います。いや、うっかりすると、私も共に斬られていたのかも知れません。佐野治郎左衛門の芝居を見ますと、「籠釣瓶《かごつるべ》はよく切れるなあ」という科白《せりふ》がありますがあの刀もたしか村正だったと思います。私の家に伝わる村正も、その籠釣瓶のように実によく切れるので御座います。先妻はその村正を右手に持って、頸部を横に切ったのですが、創《きず》は脊椎骨に達するくらいで、検屍の人もびっくりしました。たった一刀で、しかも女の力であのような創の出来るというのは、刀がよく切れたからだと推定されました。後に私自身もその村正の切れ味を経験して、いかにもよく切れることをたしかめた訳ですが、私は従来、どんなによく切れる刀でも、これを使用する人の腕が達者でなくては、そんなに見
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