ごとに物を切ることが出来るものでないと思っていました。ところが、後にその考えの根本的に誤っていたことがわかったのであります。
 さて、先妻はその時に恐しい遺言状を残して行ったので御座います。その文句によると、幽霊になって私の女を取り殺し、並びに私を不具にするか、或は取り殺さねば置かぬというのでありました。果して私たちは、そのとおりの運命に出逢ったので御座います。
 尤《もっと》も、その時は、嫉妬に駆られた女の常套語として、私は少しもそれを気に懸けませんでした。そうして、先妻の死後半ヶ年というものは私にも女にも何事も起りませんでした。で、私は身のまわりの不自由を感じて、とうとう、その女を家に引き入れて後妻としたのですが、それがいわば不幸を招く発端となったので御座います。
 私の家には、祖母の代から飼いはじめたという三毛《みけ》の雌猫《めねこ》がおりました。可なりに大きな身体をしていましたが、この三毛を先妻はわが子のように可愛がりました。その可愛がり方は実に常軌を逸していたといってもよい程でした。先妻が自殺してその死骸が発見されたとき、三毛が死体の上に乗って蹲《うずくま》っていたので、店のものがびっくりして追おうとしても、暫くの間はどうしても動かなかったということでした。この三毛が、後妻に少しも馴染まなかったので御座います。後妻が抱き上げようとしますと、必ず引掻いて逃げて行きました。私は先妻の生きている時分からあまり三毛を好みませんでしたが、先妻が死んでから三毛は私に対しても、何かこう一種の敵意を持っておるかのような風をしました。そうして三毛は時折じっと立ちどまっては、私たちを凝視するのでしたが、その凝視に逢うと、私も後妻も肌に粟を生じないではいられませんでした。とうとう後妻はあの猫には先妻の死霊がついておるから、どこかへ捨てさせてくれと私に頼みましたので、はじめに私は店のものに牛込の方まで持って行かせて捨てさせたのでしたが、二日すぎるとちゃんと帰って来ておりました。いよいよ私たちは気味を悪がって、それから随分遠いところまで度々捨てさせたのですが、三四日過ぎると必ず帰って来るのでありました。後妻はいっそ毒殺してしまおうかなどとも申しましたが、何だか、後の祟りがおそろしいように思われたのでその儘《まま》毒殺を決行せずに過ぎました。
 とかくするうちに、先妻の死後一年あまりを経ました。すると後妻は右の眼がかすんでよく物が見えなくなったといい出しました。私は早速眼科医に見て貰うようにすすめましたが、後妻は大の△△教信者でして、御祈りして貰えばなおるといって、医者へは行かずに近所にあった△△教支部に通うたのでした。然し眼はだんだん見えなくなるばかりでしたから、私はしきりに医師をたずねるように主張しましたが、後妻も中々頑固なところがあって、かえって意地になって反対しました。
 ある日、後妻が△△教支部から帰って、私に向って申しますには、神様にうかがって貰ったところ、自分の眼病は先妻の祟りで三毛に先妻の死霊がのりうつっているから、三毛のいる間は眼病は治らぬ、それゆえ、これからは三毛のいなくなる御祈りをしてやるとのことだったと告げるのでありました。私はそんなことが果して出来るかどうかを内心|大《おおい》に疑っておりました。
 ところが、不思議にも、それから間もなく三毛がいなくなったのであります。十日経ち二十日経っても帰って来ませんでした。後妻はこれを知って大に喜び、いよいよ神様の不思議な力を信じ、自分の眼病も遠からずなおることと楽観しておりました。
 ところが眼病はよくならないばかりか、いよいよ右の眼は見えなくなってしまいました。それでも後妻は△△教の力にたよって医師を訪ねようとはしませんでした。[#「しませんでした。」は底本では「しませんでした」]
 ある夜私は可なりに遅く帰宅しました。いつも後妻は私より先に寝たことはありませんでしたがその夜は少し気分が悪いといって床の中にはいっておりました。そうして、いつも電灯をつけて寝るのでしたが、その夜は眼がちらつくといって電灯を消しておりました。私は何気なく、その寝室をあけますと、妻は私の声をきいて起き上りましたが、その時私は暗やみの中に猫の眼のようにぴかりと光るもののあるのを認めました。
「三毛がいる!」と、私は思わず叫びました。
「ひえーッ?」といって後妻はとび上って電灯をつけました。
 ところが、その室には三毛の姿が見えませんでした。私たちは思わず顔を見合せましたが、お互いの顔には恐怖と安心との混合した表情が漲《みなぎ》りました。
「まあ、驚いた!」と後妻は申しました。
「いや、俺の見違いだったんだ! 堪忍してくれ」
 こういって私は、寝間着に着換え、彼女を寝かせて電灯を消し、いざ寝ようとすると
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