とは思わなかったので、警察の人の来ぬのを不審に思いながら、何かよい自殺方法はないものかと、実は今晩も君の来る前に、頻《しきり》に考えて居たんだよ。だから、君の顔を見たとき、驚くよりもむしろ嬉しい思いがした」
立って居る男の顔には侮蔑と不審の色が浮かんだ。病人はそれを察して続けた。
「君は定めし、僕が強がりをいって居ると思うだろう。又、僕が自殺したくても自殺の出来ぬ状態にあるということを不審に思うだろう。然《しか》し、僕がどういう理由で、この病院へはいって居るかということを知って居たなら、僕のいうことに不審は起きない筈だ。なに? ちっとも知らないって? それは君、ちと、迂闊《うかつ》ではないか。君が僕を毒殺するために、そういうドラマチックな計画をして置きながら、殺すべき相手の現状を委《くわ》しく調査しなかったというのは、大きな手ぬかりではないか。幸いに僕が自殺を計っても死ななかったからよいものの、もし僕が自殺を遂げて居たら、折角、致死量のストリヒニンでも死なぬからだ[#「からだ」に傍点]を苦心して拵《こしら》えたとて、何の役にも立たなかったじゃないか。
君のその旺盛な復讐心に水を注すようなことは僕もいいたくないけれど、順序として一応、僕が自殺を欲している理由を話して置こう。君、僕は、君を毒殺したと思うなり、爆裂弾をもって、自分の身体を粉微塵にしようと思ったのだよ。ところが、爆裂弾の破裂したときに僕は、左の片頬と両腕と両脚とをもぎ取られ、鳩尾《みずおち》のところに大きな穴をあけられたに拘《かかわ》らず不思議にも死ねなかったのだよ。君、人間の生命というものは強いときには馬鹿に強いものではないか。尤《もっと》も僕は一時人事不省に陥ったが気がついて見るとこの病院にかつぎ込まれて居たのだ。そうして人々は僕が災難のために負傷したものと考えたのだが、僕は医員の一人に自殺を企てたことを話したよ。そうして、何とかして自殺の意思を遂げさせてくれと願っても、医員は残酷にもこの役に立たぬ生命をどこまでも長らえさせようとして居るのだ。それかといって、僕は、自分ではどうしても死なれないのだ。両手がないから短刀を持つことが出来ぬし、又毒を嚥むことも出来ない。両脚がないから、窓から飛び降りることも出来ない。顎が半分欠けて、前歯がなくなったから、舌を噛み切ることも出来ない。こういうあわれな状態だから、医員は、皮肉にも毒薬を調合して、僕の枕の下へ入れてくれたよ。せめて、毒が傍にあったら自殺慾が満足するだろうといってね。君一寸手を貸して、枕の下から瓶を出してくれ。有難う。見給え、偶然にも君の瓶と同じものだ。又偶然にも同じ大きさの白い丸薬が二つはいって居る。けれども、それはストリヒニンではなくそれよりも遥かに強いアコニチンという猛毒がはいって居るそうだ。けれども、君、枕の下にあるその毒薬さえ、僕は何ともすることが出来ないのだ。君、両脚と両腕と片頬のない生活を想像して見たことがあるかね。それでも君は生甲斐があると思うか。ないよ。だから僕は、君が殺しに来てくれたことを恐ろしいと思うよりもむしろ嬉しく思うのだ。僕が殺そうとした君に殺されるのは、まったく、この上もない幸福だ」
病人は言葉をきって相手を見つめた。立って居る男は固く口を噤《つぐ》んで、化石したように動かなかった。「だが」と病人は言葉をつづけた。「君の先刻《さっき》の話をきいて、たった一つ恐ろしいと思ったことがあるよ。それは、君が自分だけストリヒニンに堪える身体を作ったことだ。その君の心が僕には死よりも恐ろしいよ。
君は、僕がなぜ君を毒殺しようとしたか、その原因をよく知って居るだろう。君は僕の許婚《いいなずけ》の女を僕の手から奪って、僕を不幸のどん底におとしいれた。けれど、僕はただそれだけでは君を殺そうとは思わなかった。然るに君は彼女と結婚して間もなく、彼女が肺病に罹《かか》ると、恰《あだか》も紙屑を捨るように彼女を捨てしまい、彼女を悶死させたのだ。僕は君のその心がいかにも憎くてならなかったのだ。だから僕は君を毒殺して、自分も死のうと決心したのだ。本来、毒殺は女々《めめ》しい男のすることだが、君のような卑怯な男を殺すには、磨ぎすました短刀や男性的の武器たるピストルを用いるのは勿体ないと思ったのだ。
まあ、君怒るな。現に君は女々しくも僕を毒殺しようとしているではないか。なぜ男らしく、短刀かピストルで僕を殺さないのか。君には、それだけの勇気がないからだ。僕は君を毒殺しても、すぐ、男子たる面目をたてるために、爆烈弾をもって死のうとしたよ。だがいわゆる事志とちがって、自殺することさえ出来ぬ身体になってしまった。然るに君はどうだ。僕と同じ丸薬をのむことはなるほど気が利いて居るけれど、自分だけ助かろうというではないか
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