神病者が一たん言い出した以上、その希望をかなえてやらねばどんなことを仕出来《しでか》すかわからない。
 しかし、その患者に附いていた看護人は、不馴《ふな》れであったため、すぐさま、医員を呼びに行かないで、患者に向って、そのナンセンスなことを告げた。すると患者は、せめてあの虹を取ってくれろと言い出した。看護人は又もや笑って相手にならなかった。
 そこで患者は、自分の左手を出して虹をつかもうとしたが、もとよりその手は届かなかった。と、患者は憤慨して、右手でナイフを握るなり、あッと言う間に、左の前腕を切り捨てたのである。
 看護人は驚いて急を鬼頭博士に告げた。
 博士はとりあえず繃帯《ほうたい》を施し、静かに患者に向って言った。
「君はどうしても虹になりたいのか」
「はい」
 博士は切り捨られた腕を拾い上げて行った。
「君のこの腕を虹にしてやるが、それで我慢出来ぬか」
「それなら、我慢します」
 博士は直ちに助手に囁いた。すると、間もなく助手はブンゼン燈や鍋や薬品などを持って来た。
 鬼頭博士は鍋の中へ腕を入れ、薬品と共に煮た。その頃、もはや東の空の虹は消えていた。
 暫らくすると鍋の中に、
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