毒と迷信
小酒井不木

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(例)説明せしことを以《もつ》て

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(例)必要|欠《か》くべからざるものであり、

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(例)蠑※[#「※」は「むしへん」+「原」、読みは「ゲン」、第3水準1−91−60、92−3]《ゐもり》

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(例)屡々《しば/\》
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 一 原始人類と毒

 ダーウインの進化論を、明快なる筆により、通俗的に説明せしことを以《もつ》て名高い英国の医学者ハツクスレーが、「医術は凡《すべ》ての科学の乳母だ」といつたのは蓋《けだ》し至言といはねばなるまい。何となれば、吾人の祖先即ち原始人類が、この世を征服するために最も必要なりしことは主として野獣との争闘であり、従つて野獣を殺すための毒矢の必要、又負傷したときの創《きず》の手当の必要等からして、医術は人類の創成と共に発達しなければならなかつたからである。而《しか》して現今の医学の主要なる部分を占《し》むる薬物療法なるものは、実に原始人類から伝へられて来た種々の毒に関する口碑《こうひ》が基《もと》となつて発達して来たものであつて、この意味に於て、毒は凡ての科学の開祖と見做《みな》しても差支《さしつかへ》ないのである。本来、「薬」なる語は毒を消す意味を持ち、毒と相対峙して用ひられたものであるが、毒も少量に用ふるときは薬となり、加之《のみならず》最も有効な薬は、之《これ》を多量に用ふれば最も恐ろしい毒であることは周知のことである。
 毒と人生!ある意味に於てこれ程関係の深いものは無いといつても過言ではなからう。何となれば酒、煙草、茶、とかう列《なら》べて見るだけで、敏感な読者は、毒なくしては人生は極めて殺風景であることを感ぜらるゝであらう。酒はアルコホルを、煙草はニコチンを、茶はコフエインを、何《いづ》れも毒を其《そ》の主成分として居るではないか。よしや禁酒宣伝があり、禁煙運動があつても、いまだ禁茶《きんさ》運動のあることを耳にしない。たとひこれ等のものが直接生命の保持に必要なものでないとはいへ、毒と人間とは極めて親しい関係のあることがわかり、況《いは》んや一旦病魔に冒さるれば、多くは毒の力でなくては恢復が出来ないに於ておやである。
 人類の祖先は如何《いか》にして毒の存在を知り、その使用法を知つたか。支那では人神牛首《じんしんぎうしゆ》の神農氏《しんのうし》が赭鞭《かはむち》を以て草木を鞭《むちう》ち、初めて百草を嘗《な》めて、医薬を知つたといひ、希臘《ギリシヤ》ではアポローの子、エスキユレピアスが、草木土石の性質を会得して医道の祖となつたといはれて居るが何《いづ》れも神話中の人物で、もとより信ずべき筋のものではなく、長い間の経験と幾多の犠牲とを払ひ、其の間に或は他動物の本能的になす所を見たり、或は偶然の機会に依つたりして、毒に関する知識は発達して来たものらしい。
 原始人類の知識状態又は生活状態を知るに最も有力なる手がかりは、現今世界に散在する未開地に住する蛮族《ばんぞく》に就《つい》ての研究である。其《そ》れ等《ら》の研究に依《よ》るに、彼等は何れも矢毒(即ち野獣を射て之《これ》を毒殺すべく鏃《やじり》に塗る毒)クラーレ、ヴェラトリンの如《ごと》き猛毒の使用を知り、併《あは》せて阿片《あへん》、規那《きな》、大麻《おほあさ》ヤラツパ、など諸多《いくた》の薬剤の使用を知つて居る。中にも矢毒は原始人類にとりて必要|欠《か》くべからざるものであり、又人間を毒殺するてふことの濫觴《らんしやう》とも見られぬでもない。ホーマーの詩「オヂツセー」の中には、ユリツシーズがアイラスに矢毒を要求することが書かれてあり、希臘神話の中にもパリスが毒箭《どくや》を放つてアキリーズを射殺すことが述べてある。ボルネオに現住するヂヤークと称する土人は長さ七尺、直径五分ばかりの吹管《すゐくわん》を用ひて毒矢を吹き放ち、アデンの附近に産するある毒物は其の附近に住む、ソマリーと称する蛮族により矢毒として今も使用せられて居る。
 毒の使用を知ると同時に、毒の恐ろしさを知つたのは自然の理であつて、従つて単純なる原始人類の頭は毒に関する幾多の迷信を生じ、それ等の迷信は時として現今の文明人の間にまで残され拡がつて居る。而《しか》して毒に関する迷信は凡そ二種類に大別することが出来、その一は即ち毒物そのものに纏《まと》ふ迷信であつて、其の二は即ち毒物ならぬ色々の物質を毒と思つて取り扱ふ迷信である。原始人類に共存せる偶像崇拝の風習により、ある種族が定めた偶像例へば一定の動物とか植物とかは、其種族は之を食《くら》ふことを禁止し、若《も》し之を食したならば其の物は毒となりて、之を食したものに疾病を醸《かも》すなどの迷信も、これに加へることが出来よう。コンゴに住むイーキー民族は現今《げんこん》も「しまうま」の肉は食はぬ。むかしエヂプトに於ては、テベスでは羊を食はず、メンデスでは山羊《やぎ》を食はず、オムポズでは鰐魚《わに》を嫌つた。羅馬人《ローマじん》は啄木鳥《きつつき》の肉を食することを禁じた。エツヂストーン島では殆ど凡《すべ》ての疾病《しつぺい》は、禁ぜられた樹木の実を食べた為に起つたのだと考へられて居る。

 二 植物性毒と迷信

 原始人類に最も喜ばれた毒物は、何《いづ》れの地方にありても麻酔作用を有するものであつた。日本に於ても既に素盞嗚尊《すさのをのみこと》の時に酒があり、少彦名神《すくなひこのみこと》は造酒の神なりと言はれ、支那に於ても酒を以《もつ》て薬物の始《はじめ》とした。周《しう》の成王《せいわう》の時、倭人《やまとびと》が暢草《やうさう》を献じたと「論衡《ろんかう》」といふ書に見えて居り、この暢草は香ひ草で、祭祀に当り、酒に和して地に注ぐと、気を高遠に達して神を降すの効ありと言はれて居た。印度《インド》にありては梨倶吠陀《リーグヴエダ》(印度古代の経典)の中に、ソーマ神《しん》の伝説がある。ソーマと称する植物の繊維から搾《しぼ》つた液(始めこの植物は婆楼那《バルナ》が天界の岩の上に植ゑて置いたもので、ある時一羽の隼《はやぶさ》が天上から盗んで来たものだと言はれて居る)に牛乳又は大麦の煎汁《せんじふ》を加へ、暫《しばら》く其《そ》の儘《まゝ》にして置くと、醗酵して人を酔はす働《はたらき》を生ずる。病む者が、之《これ》を薬として飲むと、四肢は強壮となり、病は去りて長寿を得ると信ぜられて居る。又一|度《たび》ソーマが腸に沁《し》み渡ると貧者も富者になつた様な気持になり、詩人は超人的の力を獲《え》る。よつて詩人はソーマを人格化して一個の神となし、ソーマ液の供物は火祭と共に梨倶吠陀に現はれた祭儀の重要な部分を占めて居る。ソーマ液の魅力は単に人間に作用するばかりではなくして天上の諸神も之を口にすると、打ち勝ち難い活力と永劫に滅びぬ生命とを得ることが出来、神々の間にはアムリタ(不老の霊薬)の名にてもてはやされ、丁度《ちやうど》希臘《ギリシヤ》神話の中の諸神が生命の培養に用ひたと伝へらるるアムブロジアのやうな役目を演じて居る。
 サツフオード氏の報告に依るに、西インド諸国及び南米に住むインド人共は現今も種々の麻酔薬を用ふるのであつて、それはピブタデニア・ペレグリナと称するものから生ずる物質であるといふ。其他《そのた》阿片《あへん》にしろ大麻《だいま》にしろ何れも麻酔作用を有するものであつて、大麻の如《ごと》きは古来印度の僧侶が「定《じやう》」に入るときに用ひたものである。話は少し外《そ》れるが後《のち》に探偵小説を論ずるときに必要であるから「定《じやう》」に入ることに就て茲《ここ》に少しく述べて置かう。
 蛇や蛙其の他の動物が所謂《いはゆる》冬眠を行ふことは周知の事実であるが、人類には本来かゝる能力は存在しない。ところがある人々にとりては事実上かゝることが可能である。大覚世尊《たいかくせそん》(釈迦)が年七十二の時、法機|漸《やうや》く熟して法華|爾前《にぜん》に於ける権実《ごんじつ》両教の起尽を明かにするため無量義経《むりやうぎきやう》を説き「四十余年|未顕真実《みけんしんじつ》」と喝破して静かに禅定《ぜんじやう》に入つた話は仏者の間に有名であり、わが弘法大師は現にまだ禅定のうちにありとさへ或る一部の人々に信ぜられて居る。これ等は其の真偽を正すに由《よし》ないが、印度の僧侶は今もなほかかることを行ひ、現に信ずべき記録に載せられてある。ハーレー氏の記載に依ると印度の僧侶が「定」に入るときは先《ま》づ大麻を飲んで麻酔状態となり、その状態の儘《まゝ》で、冷《つめ》たき静かな墓の中に置かれ、六週|乃至《ないし》八週を経過するのである。ブレード氏は一八三七年ある僧侶がラホールにて「定」に入り、六週を経て掘り出された時の状態を記して居るが、それに依ると四肢は固くなり心臓の鼓動さへなかつたといふ。而《しか》も立派に生き還つた。この実験は厳密に行はれ、昼夜交替で墓の上を軍人共が守衛した。其他|独逸《ドイツ》の医師ホーニツヒベルゲルも、印度滞在の際ある僧侶に就て四十日間の「定」を実験した。この僧侶は其名をハリダスといひ、嘗《かつ》て四ケ月間山間の墓の中で「定」に入つたさうで、墓に入る前に髭を剃つたが、四ケ月後墓から出たとき少しも髭は伸びて居なかつたといふ。かやうなことは無論誰でも行ひ得るといふ訳でなく、其の人の性質にも依《よ》り又練習にも依るであらうが、兎《と》に角《かく》人間にも動物に見る如《ごと》き冬眠状態の可能であることは疑ひ得ない。
 話は前に戻る。既に旧約全書の「天地創成」の部分には、神がアダムを「深き眠り」に陥らしめ、一本の肋骨を抜き取つたことが書かれ(この肋骨からイヴは作られ、英国の文豪トーマス・ブラウンは、この事から女の悪口を言つて「女は男の曲りくねつた肋骨だ」と叫んだ。)ホーマーの詩オヂツセーの中では、へレンがユリツシーズの酒盃《しゆはい》の中に、エヂプト産の妄憂薬《ネーベンチー》を投げたことが書かれ、ヘロドトスはマツサゲテーが大麻を燃し、その烟を吸つていい気持になつたことを書き其他|猶太《ゆだや》の経典タルマツド中の「サムメ・デ・シンタ」、アラビアン・ナイト物語中の「バング」(大麻の類)を始め、狼毒(マンドラゴラ)、毒人参《ヘムロツク》(哲学者ソクラテスが死刑に処せられて服用したもの)ヘルボア、鶏毒《ヒヨス》などの麻酔薬は何れも東西両洋に亘《わた》りて、古代の人民に知られたもので、それ等に纏はる迷信も数多いが、茲には一々|之《これ》を書き記すことは出来ないから、欧洲の文学などに最も屡々現はれて来る狼毒《マンドラゴラ》に関する迷信に就て述べて見ようと思ふ。
 マンドラゴラは英語でマンドレークと称する。この植物は馬鈴薯《ばれいしよ》類に属するもので其の有効成分マンドラゴリンは、わが国に産する「きちがひなすび」の毒成分「アトロピン」と同じ作用を有するのであつて、往時人々は麻酔剤として用ひ、ことに屡々外科手術の際に応用した。たゞこの植物の形が丁度支那の人参《にんじん》と等しく人間の形をして居るために(即ち根が又をなして人の脚の形をして居る故《ゆゑ》)之に色々な奇怪な迷信が附せられるやうになつたのである。其の迷信の一つはこれに男性と女性があると信ぜられ、日本に於ける蠑※[#「※」は「むしへん」+「原」、読みは「ゲン」、第3水準1−91−60、92−3]《ゐもり》の黒焼と等しく所謂《いはゆる》「惚《ほ》れ薬《ぐすり》」として盛んに使用せられたことであり、その二は之を地より抜く際、物凄い叫び声を発し、其の声を聞いた者は皆気が狂ふといふ迷信である。従つて之を地から抜き取る際には、昔から犬を連れて来て犬に縛り附けて置いて
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