ないから其の留守の間に眠りたいと思ふから」といふ。即ちマンドラゴラの催眠作用を有することを沙翁はよく知つて居たのである。そこで面白いことは、バツクニールといふ医学者の考証によると、沙翁は前後六回この植物を其の劇詩の中に引用して居るが、例の迷信を取り入れたときは、英語のマンドレークの語を其の儘用ひ、催眠作用を取り入れたときには羅甸語《らてんご》のマンドラゴラを用ゐて居る。些細なことではあるが大詩人の用意周到な心根が窺はれる。
 遠くこの植物の歴史に遡ると、大昔のヘブライ人が「デーン」と称して居たものと同じであつてヤコブの時代には非常に尊《たふと》ばれた「創成」の歴史によると、リユーベンが野に於てこの植物を見つけ、其の母のリエーに与へた。するとラケルがリエーに息子のマンドレークを呉《く》れといふ。リエーは、「私の夫を奪つた上にまた息子をも奪ふ気か」と詰《なじ》ると、「その代り今夜は夫を帰さう」といふ。この事から、ラケルがマンドレークを用ひて妊娠しようとしたためだと解釈し、マンドレークを用ひると子のない女が子を生むやうになるとの迷信をも生ずるに至つた。
 マンドレークに関係して茲に少しく述べ
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