と」皮肉を言はしめて居るが、いかにも宝石の顔を見せてニツコリせぬ若い婦人は先《ま》づ無さゝうである。(なほ「アミユレツト」や指環は悪魔の凝視を避けるためにも用ひられた)
 以上の事柄は毒又は毒殺に少し縁遠いやうに思はるゝ読者があるかもしれない。然《しか》し乍《なが》ら現今でも欧洲の多くの婦人は「お守り《アミユレツト》」[#ルビは「お守り」にかかる]を懸けて居り、これはよく彼地《かのち》の小説の中に出て来るから「お守り」の由来を知つて置くのも強《あなが》ち無益でないと思ふ。ことに屡々《しば/\》この「アミユレツト」に関して犯罪の行はるゝことなどが探偵小説に書かれてあるから特に一言注意を促した訳である。

 四 動物性毒と迷信(毒蛇)

 動物性毒に関する迷信も甚《はなは》だ数多いが、就中《なかんづく》毒蛇に関しては古来色々の伝説が行はれて居るから茲《こゝ》に其《そ》れを説いて見ようと思ふ。人類が蛇を恐れるのは人類の祖先が(動物時代に於て)毒蛇に悩まされた経験が遺伝せられて居るためであると説明する人もあるやうであるがそれは兎《と》に角《かく》、何《いづ》れの国にありても古代の伝説に蛇が入つていない所は殆《ほとん》ど無い。日本に於ても素盞嗚尊《すさのをのみこと》が八岐大蛇《やまたのおろち》を退治した話は周知のことであり、支那では三皇の一人《いちにん》庖犠氏《ほうぎし》が蛇身人首《じやしんじんしゆ》であつたと伝へられ、印度《インド》の神話とも見るべき梨倶吠陀《リーグヴエダ》の中にはセシアと称する千頭の怪蛇のことが記されてある。蛇は又一面に於て原始人類の崇拝の的となつて居たのであつて、蓋《けだ》し怖いものを崇むるのは自然の傾向であらう。旧約全書の始めに当り、蛇がイヴを誘惑する話は普《あまね》く人の知る所であり、ジエレミエー第八章にはコツカトリスなる怪蛇の名が出て来る。この毒蛇は又バジリスクとも称せられ、これに睨まれたのみで人は死ぬと言ひ伝へられて居る。
 希臘《ギリシヤ》の神話の中には度々《たび/\》毒蛇の話が出て来る。アルゴスの都に近き古井戸の中にハイドラと称する九頭の水蛇《みづち》があつて屡々人畜を悩ましたのをハーキユリーズが退治する話、パアナツサスの山の麓《ふもと》に住んだパイソンといふ恐ろしき蛇をアポローが銀の弓と箭《や》を以《もつ》て殺す話、アポローの子にして楽人な
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