て置きたいのは、古来我国|及《および》支那で万病に霊効ありと唱せられて居る人参のことである。佐藤|方定《ほうじやう》は日本の神代《かみよ》に存した八薬の最初に仁古太《にこた》(人参)を挙げて居る。この人参は丁度マンドレークのやうに、人間の形に類似して居て「本草綱目」の中にも、「根に手足両目ありて人の如きもの神と為す」とあるが如く、この形のために霊効があるといふ迷信が生じて来たものらしい。殊《こと》に、支那にありては人参に関して荒唐な伝説があり、「抱朴子《はうぼくし》」には「人参千歳|化《くわ》して小児《せうに》となる」などといひ、マンドレークに於けると同じく、人間の如くに言語を発したり、又男女の性別があるものゝ如くに考へられたりした。人参中にはマンドレークの含有するやうな毒物はなく、近時二三の研究家が、そのうちから特殊の成分を取り出したといふが、勿論俗間に信ぜられて居るやうな霊効のある訳ではない。何れにしても、同じやうな形をした植物が、東洋と西洋とに於て、同じやうな迷信を生じたことは興味ある現象といはねばならぬ。

 三 鉱物性毒と迷信

 以上植物性の毒物に関する迷信の一斑を説いたから、こゝに鉱物性の毒に関する迷信を説かうと思ふが、前にも述べたやうに毒に纏《まつ》はる迷信には二種あつて、毒そのものに関する迷信と、他のものを毒(又は薬)と見做《みな》す迷信とに分《わか》つことが出来るから、この際には後者の場合即ち鉱物(茲《こゝ》に於ては石)が毒(又は薬)と見做された迷信のことを書いて見ようと思ふ。
 石を外科的手術に即ち鍼《はり》として応用することは、日本の神代《かみよ》から既に行はれて居たものらしく、支那へはこの術が日本から伝はつて行つたものであるとさへ一部の人々によりて考へられて居る。「薬石効なく」などといふ時の「石」の字は※[#「※」は「いしへん」+「乏」、読みは「いしばり」、第3水準1−88−93、94−11](いしばり)を意味して居るのである。外科的に石を使用することは別に迷信ではないが、欧洲で昔から磁石を毒と見倣したのは迷信である。凡《すべ》て珍らしい性質を持つものは、単純な頭脳の所有者にとりては、一の驚異であり従つて色々な迷信を生じて来る。磁石の如《ごと》きはまた一方に於ては不老長生の作用を有すると考へられ、ゼイランの王は常に磁石(磁鉄鉱)で作つた皿で
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