、人々は耳を蔽《おほ》つて遠くに居り、然《しか》る後《のち》犬を走らしめたのである。かくてマンドレークが抜き出されて後に、その犬はマンドレークの唸り声を聞いて死んで了《しま》ふ。ローマの文豪プリニーの記載する所に依ると、人々は之を抜き取る際、風に背を向けて立ち、刀を抜いて三たび植物のまはりに円を描《か》き、西に向ひて進みつゝ引き抜いたといはれて居る。希臘神話の中に出て来る魔法使ひの女サーシーはこのマンドレークを最も屡々《しば/\》使用したといはれて居る。この迷信は余程久しい間行はれ、沙翁《さをう》の劇の中にも度々《たび/\》引用せられてゐる。「ロミオとジユリエツト」の中では、ジユリエツトに「マンドレークが地から抜き取られた時の如き叫び声、これを聞く凡ての者が気違ひになる叫び声」といはしめ、「ヘンリー四世」の中でもサツフオークをして同じやうのことを言はしめて居る。然し沙翁自身はマンドレークの薬理作用をよく知つて居たので、「アントニーとクレオパトラ」の中で、クレオパトラが「マンドラゴラが飲みたい」といふと、側《そば》の者が、「何故《なぜ》か」と尋ねる。するとクレオパトラは、「アントニーが居ないから其の留守の間に眠りたいと思ふから」といふ。即ちマンドラゴラの催眠作用を有することを沙翁はよく知つて居たのである。そこで面白いことは、バツクニールといふ医学者の考証によると、沙翁は前後六回この植物を其の劇詩の中に引用して居るが、例の迷信を取り入れたときは、英語のマンドレークの語を其の儘用ひ、催眠作用を取り入れたときには羅甸語《らてんご》のマンドラゴラを用ゐて居る。些細なことではあるが大詩人の用意周到な心根が窺はれる。
遠くこの植物の歴史に遡ると、大昔のヘブライ人が「デーン」と称して居たものと同じであつてヤコブの時代には非常に尊《たふと》ばれた「創成」の歴史によると、リユーベンが野に於てこの植物を見つけ、其の母のリエーに与へた。するとラケルがリエーに息子のマンドレークを呉《く》れといふ。リエーは、「私の夫を奪つた上にまた息子をも奪ふ気か」と詰《なじ》ると、「その代り今夜は夫を帰さう」といふ。この事から、ラケルがマンドレークを用ひて妊娠しようとしたためだと解釈し、マンドレークを用ひると子のない女が子を生むやうになるとの迷信をも生ずるに至つた。
マンドレークに関係して茲に少しく述べ
前へ
次へ
全14ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング