居りました」
「すると、自殺をなさるような様子はなかったのですか」
「少しもありませんでした。平素比較的快活な方でしたから、まさかと思って居りました」
「ピストルはいつ御買いになりました」
「その同じ頃だと思います。強盗が出没して物騒だからといって買いました」
「御主人は平素《ふだん》巫山戯《ふざけ》たことを好んでなさいましたか」
「何しろわがまゝに育った人で、たまには巫山戯たことも致しましたが、時にはむやみにはしゃぐかと思えば、時にはむっつりとして二三日口を利かぬこともありました」
「御主人には、親しい友人はありませんでしたか」
「なかったと思います。元来お友達を作ることが嫌いで御座いまして、自分の関係して居る会社へもめったに顔出し致しませんでした。たゞM――クラブへだけはよく出かけました」
「M――クラブというと?」
「英国のロンドンに居たことのある人たちが集って組織して居る英国式のクラブで、丸の内に御座います」
これで毛利先生は訊問を打ちきって、未亡人を去らせ、
「いくらたずねて行っても、わかるものでない」と、呟くように言われた。
「それでは、投書の主をたずね出して見ましょうか」と、福間警部が言った。
「いま、たずね出したところが、自殺説が変るわけのものではないし、又、むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう。とに角、これで事件は片づいたよ」
K君。
かくて北沢事件はとに角[#「とに角」に傍点]片づいた。それは新聞で君も御承知のとおりだ。けれども片づかぬのは先生の心だった。再び従前の活動状態に戻られた先生としては、事件の底の底までつきとめねばやまれる筈がない。「むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう」と言われたものゝそれは警察に向っての言葉であって、先生にはすでにその時、たずね出せる自信があったに違いない。それのみならず先生は、その事件の真相を警察に知らせては面白くないとさえ直感されたらしい。
警視庁を去るとき、
「この遺書と投書を暫らく貸してもらいたい。少し研究して見たいから」
と言って、先生はその二品を持って教室へ帰られたが、やがて僕を教授室に呼んで、
「涌井君、君はどう考える」と、だしぬけに質問された。
僕が何と答えてよいか返事に迷って居ると、毛利先生は説明するように、
「単に警察に投書があったというだけなら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分悪|戯気《ふざけ》の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合もあるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入りして詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなか/\沢山あった。ところがこの二箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、而《しか》も、たった一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るのだ」
「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」
「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」
「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」
「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだった。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を持たない筈だ」
K君。まったく僕にはわからなくなってしまった。そうして、毛利先生にも、その時はまだ少しもわかっては居なかったのだ。
「この謎はとても短時間には解けぬよ。君はもう帰ってもよい。僕はこれからこの二品を十分研究して見ようと思う」
K君。
かくて僕は、可なりに疲労して家に帰ったが、先生から与えられた謎が頭にこびりついて、その夜はなか/\眠れなかった。僕は色々に考えて見た。はては文学者A氏の全集を繙《ひもと》き、その遺書の第一節の文章なり意味なりから、何か解決の手がかりは得られないかと詮索して見たが、結局何も得るところはなかった。
あくる日、睡眠不足の眼をこすりながら、教室へ行くと、先生はすでに教授室に居られた。その顔を見たとき、先生が徹夜して研究されたことを直感した。
「涌井君、遂に問題は解けたよ」
僕の顔を見るなり、先生はいきなり声をかけられたが、いつもの問題の解けた時のような、うれしさがあらわれて居なかったから、何か先生にとっては不愉快な解決だなと思った。
「解けましたか」
そう言ったきり、僕は次の言葉に窮した。「それは愉快です」とは、どうしても言えなかったのだ
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング