えたが、さすがに、三十過ぎであることは皮膚のきめ[#「きめ」に傍点]にうかゞわれた。
例によって福間警部が退くと、先生は、
「あなたは、御主人が自殺された日、何時に用たしから御帰りになりましたか」
「五時半頃だったと思います」
「そうではないでしょう。四時か四時半頃だったでしょう」
「いゝえ、たしかに五時……」
「本当のことを言って下さい。こちらには何もかもわかって居るのですから」
「……………………」
「あなたは、四時頃に帰って死骸を発見し、びっくりして緑川さんのところへかけつけ、それから緑川さんをよんで来て、二人でとくと相談して、はじめて警察へ御知らせになったでしょう」
「いえ……」
「だから、緑川さんは、あなたが御主人を殺しなさったにちがいないと思いこみ、あなたをかばうために、今日、自分が殺したのだといって白状されましたよ」
この言葉に彼女はぶるッと身をふるわせて、
「それは本当で御座いますか。それでは何もかも申し上げます。まったく仰せのとおりで御座います。緑川さんが殺したのでもなく、また私が殺したのでもありません。私が四時に帰ったとき、すでに良人は死んで居りました。そうして私は一時に家を出て、それまで緑川さんのところに居たので御座います」
「よろしい。あなたの今言われたことを真実と認めます」
こう言って、毛利先生は警部をよんで夫人を連れ去らせた。
「涌井君」と、先生はさすがに喜ばしそうに言われた。「真実《まこと》を知ることは、案外に楽なときもあるね。僕は緑川の実演で、彼が死骸を見せられたにちがいないと推定したのだが、果してそうだった。それにしても、恋は恐ろしいものだ。夫人の罪を救おうとして虚偽の自白をなし、敢て自分を犠牲にしたのだ」
K君。僕は今更ながら先生の烱眼《けいがん》に驚かざるを得なかった。先生の前には、「虚偽」はつねに頭を下げざるを得ない。
「さあ」と先生は腕を組んで言われた。「これで、二人には罪がないとわかり、北沢は自殺ときまったが、さて、何だかまだ事件は片づいて居ないではないかね」
「はあ」と、返事をしたものの、僕にはさっぱり見当がつかなかった。
福間警部がはいってくると、先生は訊問の結果を告げ、二人を放免すべきことを主張せられて、そうして最後に、
「昨日《きのう》、僕は立入ってはきかなかったが、一たい北沢事件の今度の再調査は、警察へ来た無名の投書がもとになったというではないかね」
「そうです」
「君は、その投書について調べて見たかね」
「いゝえ、投書はありがちのことですから、別に委しいことは検べませんでした」
「その投書はまだ保存してあるだろうね」
「あります、持って来ましょうか」
警部は去って、間もなく葉書をもって来た。そこには、「北沢栄二の死因に怪しい点がある」と、ペンで書かれてあったが、僕はそれを見た瞬間、はッと思って、先生の顔を見ると、先生の眼はすでにぎら/\輝いて居た。
「涌井君。遺書を出したまえ」先生は遺書と投書の筆蹟を見くらべられたが、「この遺書と投書とは、同じ日に、同じペンとインキで、同じ人によって書かれたものだ※[#感嘆符三つ、184−1]」
K君。
その瞬間、僕は、たしかに一種の鬼気というべきものに襲われたよ。福間警部も、あまりの驚きで暫らくは言葉が出ないらしかった。
「福間君。御苦労だが、もう一度北沢夫人を連れて来て下さらぬか」
警部が去るなり、僕は言った。
「先生、それでは、北沢氏自身が、二人を罪に陥れるために、そのような奸計《かんけい》をめぐらしたのでしょうか」
「それならばもっと他殺らしい証拠を作って然るべきだ」
「他殺らしい証拠を作っては却って観破される虞《おそれ》があるから、投書の方だけを誰か腹心の人に預けて置いて、あとで投函してもらったのではないでしょうか。現に、遺書を自作にしなかったのも、やはり、深くたくんだ上のことではないでしょうか」
「そうかも知れない。けれど、北沢という人が、果してそういうことの出来得る人かしら。とに角、夫人にきいて見なければわからない」
夫人が連れられて来ると、先生は、遺書を示して、それが果して御主人の筆蹟であるかどうかをたずねられた。
夫人は肯定した。すると、福間警部も、北沢の他の筆蹟と較べたことを告げ、なお証拠として持って来てあった二三の筆蹟を取り出して来て示した。
先生は熱心に研究されたが、もはや、疑うべき余地はなかった。遺書も投書も、北沢その人が同時に書いたものである。
「この遺書を御主人が書かれたのは、いつ頃のことですか」
「たしか、死ぬ二十日程前だったと思います」
「どこで書かれましたか」
「それは存じませんが、ある晩私にそれを見せて、もうこれで、遺書《かきおき》が出来たから、いつ死んでもよいと、冗談を申して
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