拠は何一つ発見されなかったのである。
 あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにその時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、
「それじゃ、自殺と考えても差支《さしつかえ》ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言われた。
 ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。といっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺したことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしいと頼みに来たからである。
 これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたのである。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見ようという気になられたにちがいない。
「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」
「告げません」
「よし、それではこれからすぐ出かけよう」
 僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、緑川の自白の趣《おもむき》をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書の一節をうつして持って居ることをきゝ、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行くと、北沢は椅子に腰かけて食後の微睡《びすい》をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り、自分のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、再びしのび出たというのであった。
「緑川はどこに住《すま》って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をきゝ終ってたずねられた。
「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」
 警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。
 やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に退《しりぞ》かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。それは、福間警部が自動車の中で告げたことゝ少しも変らなかった。
「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」
 と、毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった薄縁《うすべり》をもって来て床に敷かれた。
 緑川はおそる/\椅子に腰かけた。
「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。よろしいか。そら、ドンとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」
「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち上ったと思います。それから、たしか身体を、こう捩《ね》じて、下へたおれ、こう言う風に横《よこた》わりました」
 こう言って一々その動作を示した。
「宜《よろ》しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」
 更に再び実験が行われた。
「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」
「それはたしかに記憶して居ります」
「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」
 こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。
「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを演《や》って見せたね」
「はあ」
「そうだろうと思った」
 やがて福間警部が戻って来ると、
「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙ってきけばいゝのだ」
「緑川が何か言いましたか」
「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゞけで本当のことをやらなかったよ。あんな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上ってから、身体を捩じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わった姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」
「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」
「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」
 間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、一層チャーミングに見
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