て、それから一日か二日、時には一週間、或《あるい》は一ヶ月、いや、どうかすると一年もかゝって適当なチャンスを見つけ、最も小気味よい方法で復讐を遂げるのが常でした。これから御話《おはな》しするのもその一例であります。
T医学専門学校を卒業すると、私はすぐ眼科教室にはいりました。学校を卒業しても、相も変らぬ「のろま」でしたから性急《せっかち》な主任のS教諭は、私の遣り方を見て、他の助手や看護婦の前をも憚からず Stumpf《スツンプ》, Dumm《ドウンム》, Faul《ファウル》 などと私を罵りました。いずれも「鈍い」とか「馬鹿」とか「どじ」とかを意味する独逸《ドイツ》語の形容詞なんです。私は心に復讐を期し乍《なが》らも、例のごとく唯々黙々《いゝもく/\》として働きましたので、後にはS教諭は私を叱ることに一種の興味を覚えたらしく、日に日に猛烈にこれ等《ら》の言葉を浴せかけました。然《しか》し、教諭Sは責任感の極《きわ》めて強い人で、助手の失敗は自分が責任を持たねばならぬと常に語って居《い》たほどですから、私を罵り乍《なが》らも、一方に於て私を指導することをおろそかにしませんでした。従っ
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