こにあるのですから、人工アメーバと人工心臓のことを委《くわ》しく申し上げたのです。然し、無論、私の発明しようとした人工心臓なるものは、今御話し致しました人工心臓とは根本的にちがったものであります。それについては追々《おいおい》申し上げるとして、さて、生理学総論に於て、私たちは、前述の人工アメーバや人工心臓のように、凡ての生活現象なるものは、それがたといどんなに複雑なものであっても、純機械的に説明し得《う》るものであるということを繰返し繰返し説ききかされたのであります。そうして生活現象を説明するには、何も不可思議な力の存在を仮定しなくても、物理学、化学の力によって、十分に説明が出来るものだということが、私の頭に深く刻みこまれました。今になって考えて見れば、水銀がたといアメーバの様の運動をしたとて、水銀は畢竟《ひっきょう》水銀であってアメーバではなく、同じくまた水銀は心臓ではあり得ないですけれども、若い時は何事につけても妥協が仕難《しにく》いものですから、私は所謂機械説の極端な信者となったのであります。
 機械説とは即ち唯今申し上げたように、生活現象の悉《ことごと》くを、純機械的に説こうと
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