ったならば、屹度《きっと》肺の窒素固定機能が盛んになります。即ち消化管に代って、肺臓が人体の栄養を司《つかさど》ろうとします。飢餓断食の際、水を飲むばかりで何週間も生きて居《お》られるのは、肺が窒素を固定する為であるにちがいありません。飢餓を任意に行うとき、実験者が静臥《せいが》して居るほど飢餓を長く続け得《う》るのは、静臥によって瓦斯交換の仕事を減少し得《う》るために、反対に窒素固定機能が旺盛になると解釈するのが、最も適当であろうと思われます。又、かの肺結核の際、患者が著しく羸痩《るいそう》して、蛋白質を多量に補給しなければならなくなるのは、肺臓が結核菌のために冒されて、窒素固定作用を減弱せしめられるためだと考うべきでありましょう。
そこで若し、肺臓が瓦斯交換を行わないでもよくなったとしたならば、その肺臓は全力を尽して窒素固定を行うにちがいありません。そうしてその窒素固定によって人体の栄養分が補われるとしたならば、もはや、恐らく食物として蛋白質を口から摂取する必要は無くなるではありますまいか。人体は体重一|瓩《キログラム》について一日二グラムの蛋白質があればよいという計算をした人が
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