人間は所謂、仙人と同じく、霞を喰べて生きて行くことが出来るだろうと想像したのであります。
人工心臓の発明ということに就ては、これまで多少考えて見た学者もあるかも知れませんが、肺臓を瓦斯交換の仕事から解放することによって、食物を非常に節減出来るだろうと考えた人は恐らく私が始めてであろうと思いますから、それに就て一|言《ごん》申し上げて置くことにします。
五
かねて私は、空気の中に大量の窒素《ちっそ》が存在することに就て不審を抱いて居《お》りました。実に窒素は空気全量の五分の四を占めて居《お》りまして、而も人類の生存に取っては何の利益もないと考えられて居《お》ります。すべて物ごとを目的論でもって解釈するのは危険かも知れませんが、私はこの空気中の窒素も酸素と同じく人類の生存に役立つものであるに違いないと思ったのです。同じ空気の中の酸素が、人類の生存に一刻もなくてはならないのに、酸素の四倍の量に当る窒素が無意義に人体に出入りして居るということはどう考えて見ても矛盾です。そこで私は、窒素は決して無意義に人体に出入りして居るのではない。無意義だと思うのは、人間が窒素の価値に気
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