摘して、生気説を唱え出しますと、丁度《ちょうど》そこへ大哲学者のカストが出て、生気説に肩を持ちましたので、第十九世紀の前半には生気説は全盛を極めました。
 すると又、第十九世紀の後半になって自然科学が驚くべき発達を遂げ、有名なダーウィンの進化論や、細胞学説などがあらわれ、機械説が復活されて今日に至って居《お》りますが、先年物故した大生理学者ヂュ・ボア・レーモンなどは、どちらかというと生気説に傾いて居《お》りました。
 こうした訳で、各時代に、生気説と機械説とは、交互に一勝一敗を繰返して来ましたが、同一人の学者でも、ある時期には機械説であったものが、何かの動機で生気説にならぬとも限りません。現に私などは、学生時代から人工心臓の発明を完成するまで、極端な機械説の主張者でしたが、愈々《いよいよ》人工心臓を実地に応用して見てから、機械説を捨ててしまったのです。そしてそれと同時に人工心臓の研究も抛《なげう》ってしまいました。

       三

 さて、人工アメーバ、人工心臓の講義をきいて、機械説の信者となった私は、二年級になって人工アメーバ、人工心臓の実習を行うに及んで、ふと、人間なり、動物なりの心臓を人工的に拵《こしら》えて、本来の心臓の代用をさせることは出来ないだろうかと考えたのです。生理各論の講義をきいた時、私は心臓がただ、一種の喞筒《ポンプ》の役をするのみであるということを知りました。而《しか》も役目はそれ程簡単であるにも拘《かか》わらず、心臓ほど大切な機関はありません。心臓が動いて居る間は、たとい人事不省に陥って居ましても、その人は死んだということが出来ません。そこで私は若《も》し、心臓が停止したとき、直《ただ》ちに人工心臓に置きかえて、外部からエネルギーを与えて、喞筒《ポンプ》の作用を起さしめ、血液を全身に送ったならば、死んだ人をも再び助けることが出来、なお、場合によっては永遠の生命を保持せしめることが出来るだろうと考えたのです。全身をめぐって来た大静脈の血液を喞筒《ポンプ》の中へ受取り、これを活栓《かっせん》によって大動脈に送り出すという極めて簡単な原理で人工心臓が出来上ります。活栓を動かすには電気モーターを使えばよいから、地磁気が存在する限り、電気の供給は絶えることなく、従って人工心臓を持つ人間は、地球のある限り長生が出来るであろう……などという空想にさえ走ったものです。
 ことに私をして人工心臓をあこがれしめたものは、心臓に関する極めて煩瑣《はんさ》な学説です。微《び》に入り細《さい》に亘《わた》るのは学術の本義ですけれども、学生時代に色々な学説を聞かされるということは可《か》なり厄介に感ずるものです。学説の論争をきくということは、たまには甚《はなは》だ面白いですけれども、幾つか重なって来るとたまりません。生理学などというものは、むしろ学説《がくじゅつ》の集合体といってもよいもので、そういう学説を減すことは、生理学を修得するものの為にもなり、ひいては人生を簡単化《シムプライズ》することが出来るだろうと私は考えました。
 御承知かも知れませんが、心臓運動の起原については二つの説があります。一つは筋肉説と唱えて、心臓は心臓を形づくる筋肉の興奮によって動くという説、今一つは、その筋肉の内へはいって来て居る神経の興奮によって動くという説があります。心臓は、之を体外に切り出しても、適当な方法を講ずれば、平気で動いて居《お》りますから、心臓を動かす力が心臓自身から発するものであるということに疑いはありませんが、さて、その力が筋肉から発するか、その中にある神経から発するかに就てはいまだに決定しては居《お》りません。そうして、その何《いず》れであるかを発見するために随分沢山な学者が随分色々な動物の心臓に就て研究し、中にはその尊い一生涯をその研究に捧げた人さえありますが、それでも満足の解決がついて居《お》らぬのです。ある学者の如きはカブトガニの如き滅多に居ないような珍らしい動物の心臓に就て研究し、神経説を完全に証拠立てたなどと大《おおい》に得意がって居ましたが、兎角《とかく》、偏狭な性質に陥り易い学者たちは、容易にそれを認めるに至りません。
 そこで私は考えたのです。筋肉説にしろ、神経説にしろ、畢竟《ひっきょう》、心臓というものがあるからそういう面倒な学説が起って来るのだ。若し人工心臓が出来た暁には、筋肉説も神経説も木っ葉微塵に砕かれる。モーターを廻す電気がその起原になるのだから、これ迄の学説は、唯一の「電気説」に統一されてしまうのだ。而《しか》もこの電気説に対しては何人《なんぴと》も反対の説を吐く余地はないのだ。何と痛快ではないか。……若気《わかげ》の至りとはいい乍《なが》ら、至極あっさりした考《かんがえ》に耽《ふけ》ったものです
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