た時の心持は、今から思ってもぞっとします。即ち友人は、立派な粟粒結核《ぞくりゅうけっかく》だと申しました。粟粒結核! それは死の宣言と選ぶところがありません。妻はよほど以前から肺を冒されて居たのを、我慢に我慢して来たので遂に取りかえしのつかぬ運命に陥ってしまったのです。私は絶大の悲哀に沈みましたが、何だか其処に一縷《いちる》の希望があるようにも思いました。いう迄もなく人工心臓によって妻を救い得《う》るだろうという希望です。
 妻は私と友人との顔つきを見て、早くも自分の運命を察したと見え、友人が去るなり、
「わたしもう治らぬのでしょう?」
 と訊ねました。
 私は返答に行き詰り、黙って首を横に振りました。
「わたしにはちゃんとわかって居るのよ。然し、わたしは死ぬことがちっとも怖くない」
 その声がいかにも希望に満ちて居《お》りますので、私は思わず、
「え?」といって彼女の顔を見つめました。
「人工心臓があるのですもの。ねえ、わたしが死んだら、すぐ人工心臓を取りつけて頂戴、わたしはきっと甦ります」
「そんなことを言っては悲しくなるじゃないか。気を大きくして居なくてはいかん」
「あなたこそ気を大きくして頂戴。折角、これまで実験を重ねて来たのですから、人間に実験しなくちゃ、何にもならないわ。わたしは兎で成功したときに、たとい病気にならないでも、わざと死んでわたしの身体で実験をして貰おうと決心したのよ」
 私は思わず彼女の手を握って、彼女の唇に接吻しました。
「そう、実験して下さる? ああ嬉しい? 今までは、兎や犬ばかりの実験だったから、人工心臓での生存が、どんなものか、誰もその感じを話してくれなかったでしょう。それをわたしは自分で経験したいと思うの。きっと、あなたの言うとおりに、安楽な世界が実現されると信ずるわ。それを思うと早く死にたいような気がする。ねえ、わたしいつ死ぬでしょうか?」
 私はますます悲しくなりました。
「まあ、いいじゃないか……」
「よくないわよ。間に合わないと悲しいから、早く準備をして頂戴!」
 そうだ! とても助からぬものならば、人工心臓によって妻の希望を達してやるのが、妻に対する親切だ! こう思って私は看護の暇を見て人工心臓の準備をしました。いつもは妻と二人でするのですから、心は勇み立ちましたが、その時は何となく暗い思いが致しました。

      
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