ません。
「どっちがにせ物だろうか」
 と、小田刑事は俊夫君に向かって尋ねました。
「むろん、いま相州屋に寝ているのがにせ物です」
 と、俊夫君はきっぱり答えました。
「え? どうして分かる?」
「死に顔や寝顔まで、にせ物はまねことができぬはずです。Pのおじさんは、春日町の空家にいた女の死に顔を見て、たしかに川上糸子だと判断なさったでしょう。だから、それが本当の川上糸子だったのです。
 それに、悪漢たちは、川上糸子が死んだということを、警察の人に見せたかったのです。そうして、さらにその死骸を隠して、わざと事件を紛糾させたかったのです」
「何のために?」
「さあ、それはよく分かりませんが、あるいは単に、彼ら誘拐団の威力を示して、警察をからかうつもりだったかもしれません」
「君のところへ電話をかけたり、糸子の死骸の上に君|宛《あ》ての名刺を置いたりしたのも、やはり君をからかうためだったろうか」
「無論そうでしょうが、僕はその点がまだはっきり理解できません。僕をからかうのが不利益であることぐらい、彼らも知っているはずです。だから、僕のところへ電話かけたり、僕|宛《あ》ての名刺を置いたりしたのは、果たして彼ら誘拐団の本意であるかどうか疑わしいと思います。
 ……が、それはとにかく、これからすぐ熱海警察署へ電話をかけ、相州屋《そうしゅうや》の川上糸子を監視して逃がさぬよう告げてください。僕はこれから、兄さんと二人で伊豆山《いずさん》へ行き、その糸子のにせ物に会ってこようと思います」
 この意外な言葉に、私はもちろん、小田さんもいささかびっくりしました。
「俊夫君、本当に伊豆山へ行くつもりか」
 と、私は尋ねかえしました。
「そうよ、兄さん。僕は久しぶりに旅行がしたくなった。これからすぐ東京駅へ行こう。今夜は帰れないかもしれないから、うちへ電話をかけておいてくれ」
「こちらは、どういう手配をしたらいいだろうか」
 と、小田さんは尋ねました。
「糸子のにせ物が相州屋にいる間は、誘拐団は逃げはしますまい」
「君、本当に、それは糸子のにせ物だろうか」
「にせ物でなくて、本物だったら何も心配するには及びません。先刻、近藤方での話によると、四五日前に川上糸子と同じ年輩の女優らしい女が、美容術を受けに来て、色々糸子のことを尋ねたということですから、伊豆山にいるのは、多分その女だろうと思いま
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