を落ちつけているわけにはゆきません。で、俊夫君はすぐさま用件にかかって、ゆうべ盗賊の入った顛末を尋ねました。
近藤女史と女弟子とが交々《こもごも》語ったところは、電話で俊夫君が聞いたこと以上にこれという注意すべき点もありませんでした。何しろ恐ろしさが先に立って、しかもすぐ麻酔剤を嗅がされたために、盗賊が一人だったか二人だったかさえ記憶しないということでした。いわんや盗賊は覆面していたので、その人相などはさっぱり分からなかったのです。
「何か盗まれはしませんでしたか」
と、俊夫君は尋ねました。
「いいえ、別に何も盗まれはしなかったようでございます。あなたからお電話をいただいたので、方々を検《しら》べましたが、何も失っておりません。それどころか、盗賊は小さなガラス罎《びん》を落としてゆきました」
「え? ガラス罎?」
と、俊夫君は熱心に聞きかえしました。
近藤女史は女弟子に告げて、それを取りにやりました。やがて女弟子は一個の小さな緑色ガラスの罎《びん》をもってきて、俊夫君に渡しました。
俊夫君は、その罎をすかして見ました。中には一滴か二滴の液体が残っているだけでした。それから俊夫君は罎の表面に貼ってあるレッテルの文字を見ました。それは印刷したレッテルではなくて、西洋紙片に黒インキで、
[#天から4字下げ]Gelsemium
と書かれてありました。すると、それを見た俊夫君の顔には、例の満足の微笑がただよいました。
「これは、たしかに盗賊が落としていったものですか」
「はあ、うちでは色々の化粧水や薬品を使いますから、はじめは、うちの罎かと思いましたが、よく検《しら》べてみると違っております。多分、私たちのどちらかが抵抗したとき、覆面の曲者《くせもの》が落としたものと見えます。ちょうど、私たちの枕もとに転がっておりました」
この時、小田刑事は待ちかねたように、俊夫君に向かって尋ねました。
「その横文字は何という意味かね?」
「これですか、これはゲルセミウムという毒物です。ゲルセミウムという植物の根にある一種のアルカロイドで、アルコールによく溶けます。ストリヒニンと同じく、非常に苦い味を持っていまして、薬剤としては神経痛などに用いられますが、それよりもこの毒は一種の不思議な作用を持っているのです」
「不思議な作用とは?」
「僕は自分で経験したことはないですが、アメ
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