体を白布にて蔽い、腸管を運動させる準備をして後、容疑者のはいって来るのを待ちかまえました。
 程なく、問題の男は、検事と警官とにはさまれて、解剖室へはいって来ました。私は男の顔を見て、これは容易ならぬ敵だと思いました。毒蛾のような痣が彼の顔をして一層兇悪の表情を帯ばしめて居《お》りました。その時私は、何となく腸管拷問法が効を奏しないような予感がすると同時に、この男のあの痣を利用したならば腸管拷問法よりも、もっとはげしい恐怖を与えることが出来ると思いましたので、腸管拷問法が成功しない時の予備として、助手に耳打ちして、その頃教室で癌腫発生の研究に使用して居たコールタールの小罎と、それを塗る短い筆とを取って来て置くように告げました。
 いつもの通り、容疑者を加えて、私たち六人は、無言の行を始めました。男は初め、検事に何か言われるであろうと予期して居たらしく、検事のむっつりとした顔を不審そうに見つめました。然し検事は何も言わなかったので彼は解剖台を眺めて、解剖台から一|間《けん》半程隔ったところに立ちました。警官は、警戒のために入口の扉《ドア》のところに立ち、検事は男の左側に立ちました。私は男と相向きあいの位置に、解剖台の右側に立って、死体を蔽った白布をさっと取り除き、女の顔を男の方に向けました。
 男はその時一つ二つ瞬きを致しました。然し、少しもその顔色を変えませんでした。私は、今に段々恐怖を増して行くであろう所の彼の心を想像しながら、先ず胸壁にメスを当て、皮膚、脂肪層、筋肉層を開き、肋骨を特種の鋏で切り破り、胸壁に孔をあけて心嚢《しんのう》をさらけ出し、次でそれを切り開いて心臓を取り出しました。取り出した心臓は、これを左の掌に受け、式に従ってすーっ、すーっと二度メスを入れました。その時、男の左の頬の筋肉がぴりっと動きましたので漆黒の毒蛾は恰《あだか》も羽ばたきするように見えました。然し男の顔色には何の変化もありませんでした。それから肺臓の解剖に移りましたが、肺臓には、明かに窒息の徴候があらわれて居《お》りました。通常法医学的解剖の際には、執刀者が所見を口述して、助手が之を筆記するのですが、この腸管拷問法の行われる際には、私は無言で、特殊の変化のある部分を指《ゆびさ》し、助手が私の示すところを見て記載することにして居《お》りましたので、メスを台上に置く金属性の響と、助手が
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