た五時半頃でした。
扉《ドア》をあけて俊夫君の室《へや》に入ると、俊夫君は手に鉛筆を持って、私が来たのも知らずに考えておりました。
「どうだね、暗号は解けた?」
と私は尋ねました。俊夫君は顔をあげましたが、その眼は遠い所を見つめていました。やがて我に返った俊夫君は、
「まだ解けん」
と苦々しく言いました。見ると机の上には暗号に関する洋書が五六冊開かれておりました。
と、そのとき電話のベルが鳴りましたので、私は立って受話器を外しました。ところが、今まで机によりかかっていた俊夫君は、何思ったか、つと立ち上がって、
「しめた、分かった!」
と言いながら、室の中をあちこち躍りまわりました。
「俊夫君! 電話だ!」
と私が申しましても耳へ入らばこそ、しまいには私の腰へぶら下がって、狂いかけるのでした。
「俊夫君! 叔父さんから電話だ!」
と私は声を強めて申しました。「叔父さん」と聞いて、俊夫君は受話器を耳に当てました。叔父さんの声が大きいので、そばに立っていた私にはよく聞こえました。
「俊夫! 犯人は分かったかい?」
「まだです」
「暗号は?」
「たったいま解式が分かりました」
「たった今?」
「叔父さんから電話がかかったので分かりました」
「それは妙だなあ!」
「妙でしょう?」
「何という暗号だい!」
「これから解くのです」
「そうか、しっかりやってくれ。ただちょっと様子を尋ねただけだ」
「しっかりやります。さようなら」
電話がかかったので暗号の解式が分かったとはどういうわけだろうか、それは私にも謎の言葉でした。私がそれを尋ねようとすると、俊夫君は書棚へかけつけて、しきりに書物を繰りひろげて見ていましたが、しばらくして、
「困ったなあ、あれの書いてある本がなくちゃ」
とさも落胆したように申しました。
「僕が買ってこようか?」
「いや、青木でいい」
こう言って、机の上のベルの釦《ボタン》を押すと、しばらくして本宅の書生の青木が入ってきました。俊夫君は紙片に何か書いて、青木に渡しながら、
「この本を、角の丸山書店で、大急ぎで買ってきてくれ」
と申しました。
「兄さん今日は本当に苦しんだよ」と俊夫君は机の前に腰かけてにこにこしながら申しました。
「何しろ、これは日本の暗号だから、外国の書物を見たとて分かるはずはなし、それかといって、日本には暗号のことを書いた本はなし、まったく僕一人の力で解かねばならぬからね。まず僕はこの『を行って』『での写真』『違って今ま』というのが一つ一つの文字すなわち『ア』とか『イ』とかをあらわしているにちがいないと思ったんだ。
ところでこの十二組のうち、どれを見ても五字より多いのはないから、何か『五つ』に縁のあるものはないかとしきりに考えてみたんだ。はじめ盲人の点字を暗号になおしたのではないかと思ってみた。が点字は『六つ』からできているのでその考えは捨てたんだ。
ちょうど兄さんが帰ってきたときに、仮名は仮名としてある記号を代表し、漢字は漢字としてある記号を代表するにちがいないというところまでこぎつけたんだ。すると叔父さんから電話がかかってきただろう。僕ははっと思ったよ。……分かったかい、兄さん?」
「どうも分からぬね」
「だって電話と言やすぐ思い出すだろう?」
「え、何を?」
「仮名がトンで漢字がツーさ!」
「何だいそれは?」
私はますます分からなくなりました。
「困るなあ電信符号だよ!」
こう言われて私は初めてなるほどと思いました。トンは電信符号の―、ツーは――で、しかも、文字はトンツーの五つ以下から成っていることを私は思い出しました。
このとき書生の青木が小さい書物をもって入ってきました。見るとその表紙に『電信符号』と記されてありました。
「兄さん、仮名をトンにし、漢字をツーにして、早く、この十二組の文字を書き直して、どういう仮名文字に相当するか検《しら》べてください」
私はやっとかかって左のとおり検べあげました。
[#ここから3字下げ]
を行って ― ―― ― ― カ
での写真 ― ― ―― ―― ノ
違って今ま ―― ― ― ―― ― モ
能と見做さ ―― ― ―― ―― ― ル
た赤をは ― ―― ― ― カ
黄や緑 ―― ― ―― ワ
至る迄そ ―― ― ―― ― ニ
く白い様に ― ―― ― ―― ― ン
しむる事 ― ― ― ―― ク
に写真術 ― ―― ―― ―― ヲ
影者が之を ―― ―― ― ―― ― シ
とに最もお ― ― ―― ― ― ト
[#ここで字下げ終わり]
せっかく検べてみても、「カノモルカワニンクヲシト」では何のことか分かりませんでしたが、ふと顔をあげると、俊夫君は、に
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