て痛快を覚えぬ人はあるまい、そうしてその後に何物かを氏から投げ込まれていることを気づかぬ人はあるまいと思う。
 氏のこの性質は、氏が信州人であるということを知れば一層よく理解することが出来ると思う。氏に接するとき私はいつも、雪に蔽《おお》われて剣のように尖っている信州の連山を思い起す。同じ雪の山でも富士山のように平凡ではない。そうして氏の作品も富士山のように高踏的ではなくて、信州の連山のように大衆的である。そうして氏は熱烈に郷国を愛しておられる。ことに木曾の天地を氏は最も愛好して、書く材料がない場合には、いつも木曾を書くといっておられる。それ程木曾のことは所謂手に入《い》ったものである。
 氏の空想の豊富なことをかつて私はナイヤガラ瀑布の水量にたとえたことがあるが、その豊富な空想を自由自在に駆使して、しかも手に入った木曾を中心とし、こんど名古屋新聞に連載小説を発表さるることになった。こう言っただけでもうその作品が如何に面白いものであるかは察せられるであろうと思う。「木曾風俗聞書薬草採《きそふうぞくききがきやくそうとり》」の予告が一度名古屋新聞にあらわれるや、国枝氏の崇拝者たちから毎日幾
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング