雑誌に「蔦葛木曾棧《つたかつらきそのかけはし》」の大作を発表されて最近まで続いていたが、これも私は、病気と闘うに忙しかったためか、その始めの部分を読まなかった。
 しかし、その後、だんだん、私の健康が恢復して、所謂《いわゆる》「新講談」を頻《しき》りに読むようになってから、私はサンデー毎日の特別号などに発表された氏の作品にだんだん引きつけられたが、遂に、「大鵬のゆくえ」を読むに至って、すっかり魅せられてしまい、国枝崇拝者の一人となった。その後、氏の作品は、手の及ぶ限り眼をとおさずには置けないことになったのである。
 しかし、この「大鵬のゆくえ」が名古屋で書かれたものであるということは、その当時、少しも知らなかったのである。何でも、昨年の五六月頃、国枝氏が名古屋に居られることをきいて、一度御目にかかりたいものだと思っていると、幸いにも七月の下旬、プラトン社の川口氏の紹介で名古屋ホテルで会談することが出来た。その時江戸川乱歩氏も居て、自然探偵小説の話に及び、私が大正十二年頃の「新趣味」に氏の訳載されたイー・ドニ・ムニエの作品のことを言い出すと、意外にも氏の口から、あれは翻訳ではなく、舞台を
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