三[#「三」は中見出し]

 それはある冬の夜中のことであった。ふと、丹七が眼をさまして見ると、傍《かたわら》に寝て居る筈のあさ子の姿が見えないので、はっ[#「はっ」に傍点]と思って蒲団《ふとん》の中に手をやるとまだ暖かい。多分便所へでも行ったのだろうと思って暫らく待って居たが一こう帰って来る様子がなかったので、
「あさ子、あさ子」
 と呼んで見ても更に返事がない。丹七は恐ろしい予感に襲われ、急いで着物を引っかけて戸外《そと》に出て見ると、月が中天に懸かってあかるく、あたりは森閑としてあさ子の姿は、そのあたりに見えなかった。
 ふと、耳を澄すと、その時神社の境内から拍手のような音が聞えて来た。丹七は、扨《さて》はと思って境内に入《い》り、音のする方へ近づいて行くと、果してあさ子は神様の前にひざまずいて、拍手をしながら、何事かを祈念して居るのであった。
 暫らく祈念を凝してからやがて、あさ子は立ち上った。彼女は両手を前に差出しながら手さぐりで歩いて、一本の老松《おいまつ》のそばに歩み寄ったが、両手が老松に触れるや否や立ちどまって懐の中から白い人形のようなものを取り出した。丹七は気づかれぬようにぬき足で彼女の傍へ来て、よく見るとそれは、六七|寸《すん》の藁人形であった。
 あさ子はその藁人形を、左の手で老松にぴったりあて乍《なが》ら、右手で袂から一本の銀色に光る釘を取り出した。いう迄もなく良雄になぞらえた藁人形を松の木に磔《はりつけ》にしようとするのである。あわや、彼女の右手がその藁人形をぐさ[#「ぐさ」に傍点]と突き刺そうとしたとき、あさ子の右腕は丹七の手によってささえとめられた。
「あさ子、何をする」
「お父さん! わたしくやしい」
 こう言ったかと思うと、あさ子は崩れるように父親にもたれかかり、両袖を顔に当てて、声をあげて泣くのであった。
 丹七はあさ子の失恋に同情するよりも、「丑《うし》の刻《とき》参り」の真似をするわが子の心の怖ろしさに戦慄を禁ずることが出来なかった。樹間《このま》をもる月影に照されたあさ子の、波打つ肉体の顫律《せんりつ》を感じたとき、丹七は二十年の昔、河の中から引き上げられたあさ子の母の死骸に触れた時の感じを思い起してぎょっとした。
 あさ子も母の血統《ちすじ》を受け、思いつめたあげくに、万一のことを仕兼ねないかも知れぬと思うと、全身の血が凍
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