親の丹七は、短刀をもって胸を抉《えぐ》られるほど辛かった。けれども、良雄の亡き父には、かつて一方ならぬ世話に逢ったのであるから、丹七は良雄をうらむ訳にもいかず、
「あさ子、堪忍してくれ、みんな俺が悪いのだ。俺の罪の報《むくい》がお前にあらわれたのだ」と、涙ながらに歎息するのであった。
丹七は伊勢の国の生れであって、他人の内縁の妻と駈落ちして、二人でこの村の遠縁のものをたよって流浪《るろう》して来たのであるが、その遠縁のものはその時死んで居らず、やむなく、良雄の父にすがりつくと、義侠心《ぎきょうしん》に富んだ良雄の父は、近所のあき地に小さい家を建ててやって二人を住わせ綿打業を始めさせたのである。
間もなく二人の間に出来たのがあさ子であった。然しあさ子を生むと同時にあさ子の母は発狂して、川に身を投げて死んでしまった。丹七はそれを天罰だと思い込み、爾来《じらい》、やもめ暮しをしながら、あさ子を育てて来たのであるが、こうして再びあさ子の身の上に悲運が落ちかかって来たのも、やはり、自分の犯した罪のむくいであると考えざるを得なかった。
「大恩ある旦那さんの手前、良雄さんには不足はいえないのだ、あさ子、何も不運だと思ってあきらめてくれ」
こういって丹七は拝むようにして、あさ子を慰めるのであった。
あさ子と良雄との恋が始まったとき、丹七は早くもそれと感づいたけれど、前に述べた理由で見て見ぬ振りをして居たのであった。どうせ身分がちがうことであるから、良雄とあさ子との結婚は望み得ないものとは思って居たのであるが、あさ子を不具《かたわ》にしてしかも、振り捨てて顧みなくなった良雄の仕打に対しては、まんざら腹が立たぬでもなかった。
丹七とはちがい、あさ子は良雄の言葉を信じて、良雄と結婚することが出来るものと思って居た。それだけ、捨てられた時の彼女の悲しみは大きかったのである。そうして、良雄の甘い数々の言葉が、単にその情慾を満すために発せられたものであると思うと、彼女は立っても居ても居《お》られない程くやしかった。
休暇に帰っても、もはや良雄はあさ子の家をのぞきもしなかった。そうして良雄の胸の中から、あさ子の影はいつの間にかかき消されてしまって居た。然し良雄の胸にあさ子の影が薄らぐと正反対にあさ子の胸には、良雄を思い、良雄をうらむの念がいよいよ濃厚になって行った。
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