そのことを仰《おっ》しゃって下さらなければ困ります。先生がそばにいて下されば、私がすぐ切り出して差上げます」
この最後の言葉に急に力づけられた京山は、「よし、それでは挨拶に行こう」と助手のあとから、解剖室にはいりました。
解剖室の中には検事をはじめ、その他の司法官、警察官など数人の人が、鹿爪《しかつめ》らしい顔をして立っていました。京山は何となく気がひける思いをしましたが、折角ここまで事を運んで、やり損なっては何にもならぬと思い、勇を鼓して、かるくみんなに目礼をしました。
が、中央の解剖台上の死体を見るに及んで顔をそむけずにはおられませぬでした。死体の顔と局部はガーゼで蔽《おお》ってありましたが、胸の創《きず》がまる出しになって、そこから血がにじみ出ていたので、これまで一度も、かようなものを見たことのない京山は、少なからず内心の平衡を失いました。
「この死骸は」と、いきなり京山はいい出しました。その声が少し調子外れでありましたから、みんなは一斉に教授の顔を正視しました。すると教授は一層興奮してしまいました。「腹の中にダイ……いや大事な……証拠をもっていると思いますので、先ず腹の中のものだけを切り出して、それを僕自身で検べて見ようと思います。おい君!」と、助手の方に向い、「大急ぎで取り出してくれたまえ」
もとより誰も教授の言葉にさからうものはありませんでしたから、何か質問されやしないかと、はらはらしていた京山は、この後幾分か安心の呼吸をすることが出来ました。けれども、彼は全身に汗のにじみ出たことを感じました。
助手は教授の命令のままに、腹壁を開いて、手早く、腹部内臓の切り出しに取りかかりました。京山は、はじめはおそろしいような気になりましたが、段々見ているうちに、不思議なもので、何ともなくなりました。そうして幾十分かの後腹部内臓の全部が、琺瑯《ほうろう》鉄器製の大盆の上に取り出されたときには、そばにあったピンセットを取り上げて、臓器の一部分に、もっともらしく触れて見るだけの勇気が出ました。
贋教授はやがて、大盆を取り上げましたが、思ったより重いのにびっくりして下に置きました。
「僕が御室《おへや》まで持って行きましょうか」と、助手がいいました。
「それには及ばぬ」こういって再び持ち上げましたが、その瞬間、ふと、これが昨日まで一しょに語った箕島の『はらわた』であるかと思って、気がぼーっとしました。もしその時、助手が、
「先生!」
と叫ばなかったなら、或は彼はその盆を床の上に落したかも知れません。
助手は言葉を続けました。「胸部の解剖はどうしましょうか?」
「どしどしやってくれたまえ。僕はじきかえって来る」
こういって京山は逃げるようにして、解剖室を出ました。
五
「重い重い。まったく、くたびれてしまった」と、京山は、大きな新聞紙の包をテーブルの上に投《ほう》り出して、ぐったりと椅子に腰掛けました。
「自業自得だよ。胃腸だけでいいものを、余分のものまでとってくるんだから」と、仙波は、たしなめるようにいいました。でも、二人の顔には、予定どおり事を運んで、首尾よくダイヤモンドを取りかえした満足の表情がうかんでおりました。
「だって、俺は、胃腸という言葉を忘れてうっかり五臓といってしまったんだ」
「馬鹿、五臓といや、胸の臓器もはいるのだよ」
「でも、あの助手は俺の言葉をすっかりのみこんで、とにかく、目的をとげさせてくれたよ。だが、今ごろは教室で大騒ぎをしていることだろう」
「まったくだ。けれど、教授は俺が番をしている間、神妙にしていたよ。それにしても切出しは随分長くかかったもんだ」
「俺も本当に気が気でなかった。……時にぼつぼつダイヤモンドの取り出しにかかろうか。これからは、貴様の仕事だぞ」と、京山は促すようにいいました。
「よし来た」こういって、仙波は新聞紙を解きにかかりました。解いて行くにつれ、生々しい血潮のしみ[#「しみ」に傍点]があらわれましたので京山は妙な気分になりましたが、仙波は平気の平左で手ぎわよくあしらって行きました。
やがて比較的乾いた内臓があらわれました。
「これが脾臓《ひぞう》で、これが肝臓だ。こいつが馬鹿に重いんだよ。これが胃で、この中にダイヤモンドがあるはずだ」
こういって彼は、指をもって胃袋の上面を触れました。
「ダイヤモンドは外からさわって見てもわかるはずだ」
暫くさわっていましたが、
「おや、おかしいぞ!」といいました。この言葉に、京山も思わず全身を緊張させて仙波の血に染った指の先を見つめました。
「おい、鋏《はさみ》とナイフを取ってくれ」と仙波がいいましたので、京山がそれを渡すと、手早く仙波は胃袋を切り開きました。
「無い。腸の方へ行ったのかしら」
こういって、
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