あるいはデパートの店員を嫁にするということが不服であったのか、あるいはまた、信用していた兄まで弟と同じようなことをするということに腹を立てたのか、もし、その女を家《うち》に引き入れるなら、わたしときよ子とは別居する。そうして、家督はきよ子に養子を迎えて、その男に譲ると宣告したのだそうであります。
これを聞いて、健吉くんは奈落《ならく》の底へ突き落とされたように驚きかつ悲しみました。きよ子さんの話によると、兄さんはそれ以後、まるで別人のようになったのだそうです。たえず考え込んでいて、母親にも妹にもろくに口も利かなかったそうです。ときにはまるで精神病者のようにぶつぶつ独り言を言うこともあったそうです。
すると二十三日に、未亡人に奇怪な病気が起こりました。M呉服店では七月が決算期で、会計係は七月二十一日から三十一日まで、一日交替で宿直をして事務を整理する習慣になっております。健吉くんは七月二十一日が宿直の晩で、二十二日に帰宅し、二十三日の朝出かけてその晩宿直し、二十四日に帰宅して、二十五日の朝出勤するという有様でしたが、不思議にも未亡人の病気は健吉くんの休みの日に起こらないで、宿直の日の、ことに健吉くんが出かけて二時間ほど過ぎたころに起こったのであります。
きよ子嬢はいつも兄さんの留守に母親が苦しむので、少なからず狼狽《ろうばい》したのですが、兄さんは非常に多忙な身体《からだ》であるから宿直の日に呼び戻すわけにいかず、しかも兄さんが休みの日は意地悪くも病気が起こらないで、兄さんに母親の苦しんだ模様を告げても本当にせず、このころから母親とはあまり口を利かなかったので、しみじみ母親に見舞いの言葉さえかけぬくらいでした。
山本さん、未亡人の三度めの発病の際あなたが令嬢からお聞きになった事情というのが、すなわち、このことだったのです。あなたはこれを聞くなり、意味ありげな笑いを浮かべて、じっと考え込みました」
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「さて」
と、検事はさらに続けた。
「未亡人の三回め、すなわち七月二十七日の発病もあなたの適当な処置によって無事に治まり、その翌日はなんともありませんでした。あなたは二十九日の発病を防ぐために、一包みの散薬を与えて、午前十時ごろ飲むようにと、その朝わざわざ書生を奥田家に遣わしになりました。ところがその散薬の効が薄かったのか、未亡人はやはり十一時
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