ばたばたと扇を使い、ぱちりとすぼめて言葉を続けた。
「健吉くんを取り調べましたところが、母に亜砒酸を与えた覚えは断じてないと申しました。もとよりそれは当然のことで、健吉くんがすぐ白状してしまったら、事件はすこぶる簡単で、こうしてあなたにまでこの暑さの中を来ていただく必要もないはずです。そこでわたしたちは、まず順序として、健吉くんがはたして未亡人に毒を与えたかどうかを検《しら》ベねばならぬことになりました。
さて、殺人についてわたしたちの第一に考えることは殺人の動機であります。そうして、健吉くんの場合について考えてみますに、健吉くんには母親を亡きものにしたいという心の発生を充分に認め得る事情がありました。健吉くんが未亡人と生《な》さぬ仲であること、熱烈に恋する女との結婚をきっぱり拒絶されたということは、立派に殺人の動機とすることができます。令嬢の話によると、母に拒絶されたのちはまるで別人のようになり、発狂でもしはすまいかと思われたというほど心に強い打撃を受けたのですから、これまでいたって親孝行であった健吉くんでも精神に多少の異常を来せば、恐ろしい計画を抱いたとしてもあながち奇怪ではありません。
しかし、健吉くんは猛烈に殺人を否定しております。そこでわたしは、健吉くんの殺人の動機となった間接の原因、すなわち健吉くんの恋人なるM呉服店員に事情を訊ねました。その店員は大島栄子《おおしまえいこ》といっていたって内気な色の白い丸顔の人でした。なんでも以前、S病院の看護婦をしていたそうですが、美貌《びぼう》のために医員たちがうるさく騒ぎ寄るので、職業を変更してデパートに勤務することにしたのだそうです。S病院といえば山本さん、あなたもご開業になる前にそこで医員をなさっておられたそうですね。……余談はさておき、その大島栄子さんから聞いてみますと、健吉くんは母の拒絶したことを告げて非常に悲しみ、大恩ある母の意志に背くことは自分にはできない。生さぬ仲のことであるからなおさら忍ばねばならない、いっそ一緒に死んでくれないかとまで言ったのだそうです。しかし、栄子さんは、いまわたしやあなたが死んではかえってお母さまに不幸になる、わたしはあなたと結婚ができなければ一生涯独身で暮らして、お友達として交際しますから、どうか短気なことは思い止《とど》まって、お母さまに孝行をしてあげてくださいと言って
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