りでは行われるものではないのである。
 時日の経過と共に、この爆弾事件も、追々忘れられかけて来た。するとある日、人々の記憶を喚びさまさせようと思ったかのように、この不思議な犯人は、更に三たび、その恐ろしい魔の手を伸したのである。

       三

 ブロンクス区フルトン街に、あるアパートメントの管理人をしているヘララというキューバ人が住んでいた。家族は夫人と、その妹と、夜番のジョン・オファレルという老人との四人暮しであった。ある晩老人オファレルが、家に入ろうとした途端、何かにつまづいて、たおれかけようとしたので、よく見ると足許に、紅い紐で結えた白い紙包があった。彼は不思議に思って拾い上げながら中に入ると、客室には、ヘララ夫婦と、妹とが楽しそうに話し合っていた。
「誰やら、こんな菓子箱を入口に置いて行きましたよ、大方あなたに贈って来たのでしょう」こういって老人はこれを夫人に渡した。
「まあジョンさん」と妹は言った。「うまいことをいうのね、あなた御自分で買って来たのでしょう。しかし姉さんには、歴《れき》とした良人《おっと》があるのよ。なぜ私に下さらないの」
 これを聞いた夫婦は大声を出して笑った。老人は頗《すこぶ》る面喰《めんくら》ったが、
「はっはは、これは困った」と言いながら、自分の居間へ去ろうとした。
「本当は私にくれたのよ、ね、ジョン」と妹は話かけた。
「本当にそうなの! ジョンさん」と夫人も老人に向って訊ねたが、もうその時老人は室《へや》の外に出ていた。
 夫人はそれから妹に向って冗談を言いながら、紅い紐を解くと、果して中から菓子箱があらわれた。
「お菓子は、分けてあげるから、おとなしくしていらっしゃい」
 こういって夫人は蓋を開けた。と、その瞬間、箱は異常な音響を発して、夫人の身体は見る影もなく破壊された。ヘララは直ちに右眼を失ったが、傷いた左眼も数日後潰れてしまった。妹は諸所に火傷や創傷を受けたが、生命には別条なく、老人オファレルはその時その室に居なかったので災難を免れた。
 急報によって駈けつけた警官は、現場を検べ、事情を聞き取った後、犯人は正しく前二回と同一人であることを推定した。しかし今回は郵便で来たのではなく、老人が直接に持って来たのであり、かつ老人自身は都合よく災を免れたのであるから、警官は当然老人は怪しいと睨《にら》んで、その場から警察に拘引したのである。
 オファレルは正直な男であって、生れてから一度も警察の空気に接したことがなかったため、訊問の際頗るどぎまぎした。彼は、爆弾の箱が入口に置かれてあっただけで、誰がいつ持って来たのか少しも知らないといったが、警察の方では彼が手に持って入って来たのであるから、たとい彼自身が犯人でないとしても、少くとも犯人と何かの関係がなくてはならぬと、段々問いつめて行くと、遂にオファレルは「恐れ入りました」と白状した。
「では、どういう訳でヘララ一家を殺そうとしたのか」と警官が訊ねた。
「存じません」
「ではウォーカーとはどういう関係があるか」
「ウォーカーという男は知りません」
「ウォーカーは女だ」
「尚更存じません」
「ロザルスキー判事を知っているか」
「聞いたこともありません」
 何を訊いても老人は知らぬ存ぜぬといった。何処で火薬を求めたか、どうして爆弾を作ったか、使用したタイプライターが何処にあるかということなど何一つ彼は返答することが出来なかった。
「それでは何故白状したか?」
 老人は悲しそうな顔をして暫らく黙っていたが、やがて言った。
「でも白状せよとの仰せでしたから」
 かくて老人の「白状」も、この事件の謎を解く鍵とはならず、事件は又もや迷宮に入った。オファレルが犯人でないことは明かとなったが、しからば以上三回の犯罪を行った本人は誰であるか。かような恐ろしい犯罪者が、今以て、市中を横行闊歩しているかと思うと、警察も焦燥せずにはいられなかった。
 あまつさえ、新聞は再び警察を攻撃したので、警察や探偵たちは躍起となって活動したが、犯罪の動機がよくわからないために、全く暗中模索の有様であった。ヘララ一家のものには、別に他人から恨みを受けるような事情がなかった。問題の日にヘララのアパートメントに出入した人々の穿鑿《せんさく》に取りかかっても、これという怪しい人物は見当らなかった。犯人が手ずから小包を運んだのに違いないから、或は犯人はその附近に住むものであるかもしれぬという考のもとに捜索を行っても結果は陰性《ネガチヴ》であった。
 犯罪事件が迷宮に入ると警察は沢山の匿名の手紙を受取るのが常であって、時には犯人自身が匿名の手紙を出して警察を迷わすようなことがあるが、今回集った手紙の中に、例のタイプライターで書かれたものは一つもなく、また素人たちの探偵的暗示にも、何一
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