たま都合よく妊娠したというような時には、妊婦は人工流産に頑として反対します。折角子供が生れても、母親が生きて居なければ、その子は非常に不幸であるにも拘わらず、子を儲けたいという本能的欲望は、わが子の将来の不幸を考える余裕のないほど熾烈《しれつ》なものであります。ここに於て、私たちは一つの大きなジレンマに際会するのであります。然し、私たちは、かかる場合、どうすることも出来ません。ただ妊婦の意志に任せて、妊婦の無事を祈るより外はないのであります。
 これから申上げようとするお話も、やはりこのジレンマに関係して居るのであります。ある日私はTという知名の外交官の夫人から診察に招かれたのであります。T氏とはまんざら知らぬ仲ではなく、夫人にも二三度逢ったことがあります。然し、それは、その時から二三年前のことで、その後のことはあまりよく知らなかったのですが、以前《まえ》の夫人は社交界でも有数の美人で、可なりにヒステリックな、又、コケッチッシュな性質を有《も》ちその操行については、よくない噂をさえ耳にしたことがありました。操行といえば夫君たるT氏も、あまり評判がよくありませんでしたが、T氏は名門の出で
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