とT氏は、心配そうな顔をしながらも、外交官らしい如才のない態度を失わずに言いました。私はT氏の姿をながめながら、このやさしそうな人が、あれほどにも夫人に恨まれて居るのかと思うと、何だか、気の毒になって来ました。私は出来るだけのことを致しますと言って、別館の病室に急ぎました。
 病室には白い服をまとった看護婦と産婆とが出産の準備を致して居りました。私は患者よりも先に、正面に懸けてある例の絵に目を注ぎました。万が一にも今日は、夫人の予期して居るような、いわば超自然的な現象が見られるかも知れんと思ったからです。夫人は私の姿を見て喜ばしそうな顔をしましたが、唇が少しく紫色になって居りましたから、私はあわてて強心剤を注射しました。然し脈搏は非常に悪く、果して無事にお産が出来るかどうかが気づかわれました。が、陣痛はだんだん頻繁になり、分娩は近づきました。そうして患者は額に冷汗の玉をならべました。さすがに夫人は、今日はあまり口をきこうともせず、歯を喰いしばって苦しさをこらえながら、而も、どことなく、落ついた表情をして居りました。
 いよいよ分娩が始まりました。やがて、銀盤を竹の箆《へら》で摩擦す
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