くことにするが、その間君たちはいったん帰って、また出直してきてくれるか、それとも少し長いけれど辛抱して待っていてくれるか?」
俊夫君が木村さんに都合を尋ねると、木村さんは、竹内から白金を取りかえすまでは、うちへ帰りたくはないと言いましたので、私たち三人は警視庁に止まって、六時間ばかり待ち合わせることにしました。
待っているということは、ずいぶん骨の折れることです。こういうときに限って時計の針の動きがいつもより遅く思われます。やがて四時になったとき俊夫君はとつぜん私に向かって言いました。
「兄さん、僕これからちょっと用事があって出かけてくるから、おじさんの相手をしてあげてください。六時までにはきっと帰ってくる」
こう言ったかと思うと、俊夫君は、呆気《あっけ》にとられた私たち二人を残して、つかつかと走りだしていきました。
退屈な時間もとうとう暮れて六時になりました。あたりは少し薄暗くなったかと思うと電灯がつきました。すると約束どおり、俊夫君がにこにこして私たちの室に入ってきました。
「兄さん、いまPのおじさんに会ったら、今夜は兄さんに大いに活動してもらわねばならぬから、うんとご飯をつめこんで力を貯えておいてほしいと言ったよ」
私たちが食事をすますと、時計は七時を報じました。小田刑事は、数名の腕利きの刑事を先へ送って手配《てくば》りをさせ、私たち三人は小田刑事とともに、自動車に乗って後から出かけました。
大森へ着いたときは、あたりがもう真っ暗でした。畑中の西洋館の実験室らしい室《へや》には、七八人の男が寄り集まって、しきりに化学実験のようなことをやっていました。小田さんの命により、俊夫君と木村さんと私の三人が木陰に立って、実験室を覗《のぞ》くと、竹内もその中にいました。
間もなく竹内は得意そうな顔をして例の土瓶を取りだしてきて親分らしい男に渡しました。親分は土瓶の蓋を取って、臭いをかぎましたが、たちまち色を変えて怒り顔になりました。彼はその土瓶を高く振りあげたかと思うと、中のお茶を竹内目がけてぱっとぶっかけました。……「あっ」と言ったのは竹内ではなくて木村さんでした。その声があまりに大きかったので、中の男たちは、一斉に私たちの方を向きました。
その瞬間、俊夫君は呼子《よびこ》笛を取りだして「ピー」と一声鳴らしました。すると実験室の電灯がさっと消えて家の外も中も、真っ暗闇に包まれてしまいました。
それから先、何事が起こったかは読者諸君の想像に任せます。悪漢のうちのある者は家の中で、ある者は逃げだしたところを、はげしい格闘の後、張り込みの警官たちの手で捕縛されました。私も人々の間にまじって一臂《いちび》の力を揮《ふる》い一人の悪漢を捩《ね》じあげましたが、よく見るとそれは皮肉にも竹内だったのです。
約三十分の後、総計八人の悪漢は護送自動車の中に積みこまれました。小田刑事はうれしそうな顔をして、
「俊夫君どうも有り難う。この中には、警視庁で数年来行方を捜していた、稀代《きだい》の貴金属盗賊がいるよ。いずれゆっくりお礼にゆく。君たちは、あそこの自動車で帰ってくれたまえ」
と言いながら、護送自動車に乗って去りました。
木村さんは白金を溶かした「お茶」が流れてしまったので、あまり嬉しそうな顔はしていませんでした。やがて俊夫君は木村さんを自動車のそばに引っ張っていって、
「さあ、木村のおじさん、約束どおり白金を取りかえしてあげました」
と言いながら、木村さんの手に白く光る塊を渡しました。
「やっ」
と言いながら木村さんは、つかむように受け取って、
「ど、どうしてこれが……」
「レントゲン検査に行ったのは、これを取りかえすためだったのです」
と、俊夫君は説明しました。
「ああしなければ竹内を連れだすことができません。僕は岡島先生の家から一足先に帰りおばさんに会って、朝飯を食うふりをして土瓶の中の本物をただのお茶にすりかえておいたのです。それから本物を別の罎《びん》にうつして、浅草の山本実験所へ持っていって還元してもらい、四時に警視庁から取りにいったんです。
先刻、盗賊の親分はあの土瓶にただのお茶が入っていたので、竹内がすりかえたものと思って、怒って投げつけたのですよ。……さあ早く帰って、おばさんを喜ばせてあげましょう」
底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「子供の科学 二巻三〜五号」
1925(大正14)年3〜5月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年11月14日作成
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