やって行きました。ひとたび湯滝に打たれると、念入りな落書きもみごとに洗い去られてしまいました。
ある日の午後、わたしたち三人が例のごとく身体じゅうを面妖《めんよう》な墨絵に包まれて、笑い興じながらお湯にやって行きますと、一人の五十ばかりの白髪童顔の紳士が千人風呂に入っていました。いつもたいていの客はわたしたちの姿を見てかならずにっこりするのでありますが、その紳士はこうした悪戯《いたずら》を好まないとみえて、看護婦の胸に描かれた蟹《かに》の絵を見るなり、ぎょっとしたような顔をしてわきを向きました。しかし看護婦はそれに気がつかなかったとみえ、相変わらず愉快にはしゃぎながら、湯滝の壷《つぼ》へ下りていきましたが、わたしと町田とはちょっと変な気持ちになり、互いに顔を見合わせて続いて下りていきました。
それきりわたしたちは、紳士のことを忘れてしまいました。ところが夕食後、わたしたち二人が伊豆山神社の階段を登ろうとすると、件《くだん》の紳士が上から下りてくるところでした。紳士は千人風呂の中にいたとは打って変わった馴《な》れ馴れしい態度で話しかけ、
「あなたがたはもう長らくご滞在ですか?」
と
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