「低級なもの」"inferior stuff" のように考える人が少くなかったようである。そういう考えは日本ばかりでなく、欧米にもあったようであるが、何のために、そういう考えが生じたかは一寸判断がつかない。或は探偵小説という名前から来る聯想がいけないかもしれない。或は又探偵小説作家が、真剣になって探偵小説を書かなかった為かもしれない。しかし、エドガア・アラン・ポオの作品を読んで、それを低級だといい得る人はあるまいから、探偵小説に対するそうした先入見はよろしく取り払って貰いたいと思う。しかしもし、現代の日本人で、そういう偏見を懐いている人があったら、すべからく、エドガア・アラン・ポオの発音をそのまま取ってペンネームとした江戸川乱歩の作品を読むべきである。さすれば、自ら、そういう偏見は消えてしまうであろう。そして、私を驚かせ、喜ばせ、遂には日本人として一種の誇りを感ぜしめたこれらの作品は、恐らく、凡ての読者に私と同じ気持を起させるであろう。実際これらの作品に共通せる推理の鮮かさ、情味の豊かさ、構想の非凡さ、描写のこまやかさは、一寸普通の小説家の追従を許さぬところがある。
明治二十年代には翻
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