「心理試験」序
小酒井不木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)僭越《せんえつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)理路|井然《せいぜん》として、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](『心理試験』、大正十四年七月、春陽堂)
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 江戸川乱歩兄から、こんど創作第一集を出すについて序文を寄せよとの事。わが探偵小説界の鬼才江戸川兄の創作集に、私が序文を書くなどということは、僭越《せんえつ》でもあり恥かしくもあるが、同時にまた、私に序文を書かせてくれる江戸川兄の心が嬉しくてならぬ。で、とにもかくにも御引受して、さて、筆を取って見ると、少なからぬ興奮を覚え、いささか、かたくなった為体《ていたらく》である。だから、うっかりすると、甚しく脱線したことを書かぬとも限らない。
 二年ほど前、博文館の森下雨村氏からの紹介で、江戸川兄の処女作「二銭銅貨」を読んだとき、私は感心したというよりもむしろ驚いた。日本にこれだけの作家があろうとは思いも寄らなかったからである。実はその頃、何故日本に優れた探偵小説作家が出ないだろうかを不審に思い、日本人の生活状態が、探偵小説の題材に不似合なためだろうかと考えて見たこともあったが、それにしても、「日本式」ともいうべき作品が出てもよかりそうに思い、結局はやはり、日本人の頭脳が探偵小説に不適当かも知れぬと高をくくっていた矢先であるから、驚くと同時に、自分の考えちがいを恥じざるを得なかった。
 続いて、雑誌「新青年」を通じて、「一枚の切符」、「恐ろしき錯誤」、「二癈人」、「双生児」等の作品に接するに及んで、いよいよ益々、江戸川兄の非凡なる技倆に感服すると同時に、日本に、これほどの優れた作家の出たことを心から喜び、更に最近の「心理試験」を読むに及んで、日本人として、欧米の探偵小説界に対し、一種の誇りを覚ゆるに到ったのである。実際、「心理試験」ほどの傑作は、多産な英米の探偵小説界にも、めったに見当る作品ではないと私は断言して憚《はばか》らぬ。嘘だと思うなら、襟を正しくして読んで御覧になるがよい。たとい、探偵小説を、「喰わず嫌い」に、卑しんでいる人でも、あの作品の持つ怖ろしい魅力によって、その場から、探偵小説の愛好者になるであろう。もし、一回読んでなお、探偵小説の愛好者になれなかったならば、とにかく、もう一度読んで御覧なさるがよい。但し、そのあげくに、「愛好」の域をとおりこして、探偵小説の「病みつき」になられたとて、私は責任は持たないつもりである。
 欧米の探偵小説にも、暗号や、双生児の犯罪や、夢遊病を取り扱った作品は決して、少くはない。然るにそれが、江戸川兄の手によって、「二銭銅貨」となり、「双生児」となり、「二癈人」となると、到底外国人では描くことの出来ぬ東洋的な深みと色彩とを帯んで、丁度日本刀のニオイを見るような、奥床しい感じをそそられるのである。単にそればかりでなく、「恐ろしき錯誤」、「赤い部屋」、「心理試験」になると、その水の滴らんばかりの日本刀で、ずばりと首を切られた味だ。まさにこれ、「電光影裏截春風」の形であって、到底欧米人には味い得ない味だといっても敢て過言ではあるまいと思う。
 探偵小説は理知の文学であるから、ことによると読者の中には、江戸川兄の作品を解剖して、そのどの部分に私が感服するかと質問する人があるかも知れない。しかしながら、日本刀のニオイを顕微鏡を以て研究して見ても、ニオイの味はさっぱりわからぬと同じく、いかに理知の文学でも、こまかに解剖して批評しようとしては、折角の味は滅茶々々にされてしまう。私は江戸川兄の作品を読んで、この部分のこういう風に出来ているから面白いと思ったことは一度もなく、全体を読み終って、その際受けた感じが、たまらなくよいから、面白いという迄である。日本刀のニオイでも、顕微鏡にかけたならば、案外に汚ない部分がないとも限らぬように、優秀な探偵小説でもその部分々々を、綿密に検討したならば、多少の不自然や、「こしらえ」が眼につくのはあたりまえであって、それによって作品の価値を云々するのは、当を得ていないかと思う。もっとも探偵小説の生命たる「推理」に矛盾があっては絶対にいけないけれども、それさえある場合には眼ざわりにならない。例えばポオの「マリーロージェ事件」の始めの部分と終りの部分には、ヂュパンの推理に矛盾があるけれど、でもやっぱり、あの作品は私にとって面白いものである。もっとも、推理に矛盾が無ければなお一層面白いにちがいないけれども、多くの読者はその矛盾に気づかずに読んでしまうから、少しも差支はないのである。たとい探偵小説の一つの目的が知的満足を与うる所にあっても、数学や物理とちがって、芸術であ
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