るからには、読んで行くときに気づかれない程度の不自然や「こしらえ」は許されてもよいではあるまいか。菊池寛氏が歴史小説について、読者が歴史に対して持っている幻影を壊さない限り、史実を勝手に変更してもかまわぬといっているように、自然であり、当然であるらしく思われることならば、たとい少数の頭のよい人に不自然であり、「こしらえ」であると気付かれても、作品の芸術的価値はゆるがないと思うのである。実際にあった犯罪探偵事件を骨子として小説を作っても、小説である以上、犯罪記録とはちがって、時間を適当にきり縮めたり、場所を勝手に変更したり、或は一二の出来事を省略する関係上、そこに多少の不自然の起ることは已《や》むを得ないのである。もし探偵小説家が、毫厘のスキもないようにと、それのみに力を入れたならば、それがために却って芸術的価値の薄いものを作り上げるようになりはしないであろうか。文芸は虚実の間を行くといった近松翁の言葉は、探偵小説にも応用してかまわぬではあるまいか。もとより、理路|井然《せいぜん》として、少しの不自然もないように出来ればそれに越したことはないけれど、作品の芸術的効果を無視してまで、「理」に忠実なろうとすることは、私の取らない所である。こういったからとて、私は決して奇蹟や偶然や、直観を許してもよいというのではなく、これらのものは出来得る限り探偵小説から駆逐してしまわなければならないのである。とにかく江戸川兄の作品のあるものも、細かに解剖すれば、小さな不自然を見つけることが出来るかも知れぬが、読んでいるときには、それを少しも気づかせぬほど、その筆力は冴えているのである。言いかえれば、江戸川兄の作品は、読者をして、息もつがせずに読み終らせ、そして読者に十分な知的満足を与えるのであって、要するに、面白いから面白いと言うより外はないのである。
一般に、探偵小説そのものについて、一たい探偵小説の何処が面白いかときかれても、私は一寸返答に困る。やはり、面白いから面白いのだと答えるより外はないのである。探偵小説は、これを食物に譬《たと》えるならば、一種の刺戟剤であって、「わさび」や「しょうが」を何故好きかと問われても一寸返答に困ると同じである。「わさび」や「しょうが」には栄養価が少なく、栄養学上、人間の生存にとっては無くてもかまわぬものであるけれど、少くとも私自身ほしくてならぬように、たとい探偵小説が、一部の文芸批評家によって、その存在理由を疑われてもやはり、私自身にとっては無くてはならぬものである。しかし、「わさび」や「しょうが」が、間接に胃を刺戟して、人体の栄養を助けるように、探偵小説もまた、人間の生活にうるおいを持たせて、「間接に」、人心の向上に役立たないものでもあるまい。たとい人心の向上に少しも役立たなくても、探偵小説の持つ、怪奇と恐怖と諧謔の味を享楽する丈で十分ではないか。蛋白質と澱粉《でんぷん》と脂肪と食塩と水とビタミンさえあれば、味などはどうでもかまわぬと言われたら、どんなにか物足らないであろう。それと同じく、直接人心の向上に与らない文学は読むなといわれたら、恐らくやり切れるものではあるまいと思う。たとい探偵小説を一種の知識遊戯と見做したとて、クロスワードパズルと同じように、人々に手をつけさせずには置かぬだけの魅力を持っているのである。
探偵小説の題材として、最も多く犯罪が選ばれるのは、人々が犯罪に最も多くの興味を感ずるからであろう。然らば何故に人々が犯罪に興味を感ずるかというに、それは、自分の心の中に奥深くかくされている「悪」が、偶々《たまたま》他人が外部へあらわした悪のために振動させられ、その悪のヴァイブレーションが、その人に向って一種異様な好奇の感じを与えるからではあるまいか。つまり人々が犯罪に興味を持つのは、悪を恐怖するというよりも、何となく悪に愉悦を感ずるからだと私は解釈したいのである。然るに、悪いことをすれば、法律というもののために罰せられねばならない。従ってそこに法律という厭なものに触れる恐ろしさ遣瀬《やるせ》なさが生じて来る。この気持を探偵小説家が無視していると思っては間違いである。例えば江戸川兄の「心理試験」の中には、この気持が遺憾なく描き出されてあることを見のがしてはならない。だから、探偵小説に、犯人が見つけ出される経路が描かれてあったとて、それを直ちに、「悪」を恐怖し、「善」を讃美するものと認めることは当を得ていないかと思う。
いや、思わずも少しく議論めいて来たが、近来ぼつぼつ探偵小説の本質に関する論議が行われるようになったから、物にはどんな理屈でも附くものだということを書いて見たのに過ぎないのであって、探偵小説のねらっている所は、決して「犯罪」ばかりではないのである。
従来、探偵小説というと、何だか
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