これを証明するだろう。近代の科学が未知のものを計算しようとするのは、この原則の精神を奉じているからだ」と書いて大部分の真理が傍系的なものから出ることを説明し、当時の周囲の事情を調べるのが当然の順序であることを述べ各新聞紙から、議論を組み立てるに必要な記事を抜粋して、然る後、それを基として更に明快な推理に移って行く手際は、実に巧妙を極めている。
このような書き方こそ、本格探偵小説の原型をなすものであって、この型が如何にしばしばドイルその他の探偵小説家によって採用されているかは、読者のよく知っていられるところである。列挙せられた新聞紙の記事は所謂この物語の第二の伏線とも見るべきものであって、第一の伏線たるマリー失踪前後の記述と相まちて、この長い物語の美しい「あや」を形《かたちづく》っているのである。何気なしに読んでいると、「マリー・ロオジェ事件」はまるで一篇の論文のように思えるが、その実あく迄用意周到に一篇の物語を編もうとしたポオの努力がありありとあらわれている。
もとよりこの物語には、何等はらはらさせられるところがない。これは題材の性質上やむを得ないことであるが、それにもかかわらず読者がしまいまでずんずん引っ張られてしまうのは、その叙述の仕方が寸分のスキもないように順序立てられてあるからである。そうして、読者を引っ張って行こうとした努力のために却って論理の矛盾を来すような破目に陥ってしまったのである。
ポオ自身が、この論理の矛盾に気附いたかどうかは、もとより知るに由もないが、たとい気附いてももはやどうにもすることが出来なかったのであろう。これは本格探偵小説を書くものの常に出逢う難点であって、本格小説に手をつける人の少ないのはこれがためであるとも言える。
警察の記録ならば事実を羅列しさえすればよいのであるけれども、物語である以上は、読者を満足させるように何等かの解決をつけねばならぬため、そこに多少の破綻が起って来るわけである。又、本格探偵小説を書くときは、ややもすると、些細な点の説明を逸し易いものである。「マリー・ロオジェ事件」の中にも、例えば、ヂュパンは叢林の木の枝に引っかかっていた衣服の破片が、格闘の際偶然に引きさかれたものでないことを主張しながら、何のために犯人がわざわざ衣服を引き裂いてそこに引っかけたかということについては説明していないのである。
けれども、「マリー・ロオジェ事件」を読まれた読者は、以上の点を除いては、文中に挙げられた大小すべての事項が遅かれ早かれ洩《もれ》なく、分析解剖されていることに気附かれるであろう。実際一面からいえば、痒《かゆ》いところへ手の届くように書きこなされてあるのであって、これは到底凡手の企て及ばざるところである。
最近わが国に於ても、盛んに探偵小説の創作が試みられるようになったが、「マリー・ロオジェ事件」のような本格探偵小説を書く人は極めて少ないのであって、私自身も本格探偵小説が書いて見たいと思いながら、つい、むずかしいので手を出し兼ねている。この時にあたって、本格探偵小説の元祖ともいうべき「マリー・ロオジェ事件」が平林氏の忠実にして流暢なる翻訳によって「新青年」に紹介されたことは欣喜に堪えぬところである。読者はよろしく再読三読して、その妙味を味ってほしいと思う。
[#地付き](「新青年」大正十五年夏季増刊号)
底本:「人工心臓」国書刊行会
1994(平成6)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」博文館
1926(大正15)年夏季増刊号
初出:「新青年」博文館
1926(大正15)年夏季増刊号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2007年8月21日作成
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