歩いているのを見たというものがあって、眼尻の下った連中に岡焼《おかやき》半分に噂されたものである。店へ帰って来ると彼女は、田舎のお友達の家をたずねたのだと語ったが、その真相は誰も知らなかった。
しかし、そのことがあって間もなく、彼女は煙草屋の店を退《ひ》いて家に帰ったので、彼女の店にせっせと通って不要な煙草を買った連中は、掌中の珠を奪われたかのように落胆した。しかも彼女は家に帰ると間もなく、下宿人の一人なるダニエル・ペイン(小説ではサン・チュースターシュ)と婚約したという噂が伝わって、人々は一層失望した。
七月二十五日(日曜日)の朝、彼女はペインの室の扉《ドア》をノックして、今日はこれからブリーカー街の従姉のドーニング夫人をたずねますから、夕方になったら迎えに来て下さいといって家を出た。が、それが今生《こんじょう》の別れであろうとはペインは夢にも思わなかったのである。なお又、彼女がそれから死骸となって発見されるまで、彼女の生きた姿を見たものは一人もなかった。
その朝は快く晴れていたが、正午《ひる》過から天気が変って、夕方にははげしい雷雨となった。それがため、ペインは彼女との約束を
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