としても、バーンスとなるとそうはいかない。ところがバーンスの記述を読むと幾分かポオの記述と似ていて、しかも前に述べたように、腰のまわりに短い紐で重い石が附けられてあったと書かれているのである。然《しか》るに死体を最初に発見した人たちは、身体には紐や縄らしいものは一本も附いていなかったと証言しているのであって、こうなると一たいどう信じてよいか判断がつきかねるのである。
 もし医師の検案書が果して他の新聞に発表されたとしたならば、ポオは死体が幾日間水中にあったということについて、ヂュパンに長い議論をさせる必要はない筈である。なお又、死体がメリーであるか無いかの疑問も起らない訳であって、あの長々しいアイデンチフィケーションに関する説明もしなくってすんだ訳である。しかし、探偵小説を書くためには、溺死体が水に浮ぶか否かの議論もしなければならぬし、又、個体鑑別論も書かなければならない。実際あの小説の三分の一を占める明快な個体鑑別論によって、読者はヂュパンの驚くべき推理に敬服し、次で行われる事件の解決を一も二もなく受け容れねばならなくなるからである。だから、私たちは、ポオの引用したエトワール紙(事実
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